お紅

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 そしてもう一つ、私は知っていた。  私たちを作った女と男の間には、愛がなかったことを。  私自身、愛というものが何なのか、考えるのも面倒だし、その必要性も全く感じない。  が、あまりに愛を語る人が多いので、いつか誰かに聞いたことがある。その人は言った。  「私も好きで、相手も私が好き。両思いの関係で、嫌なことがあっても、喧嘩しても、ずっと一緒にいたいって思える。それが愛。」  その二文や三文で語れるほど、「愛」とは単純なものなのか。  そう考えた自分はさておき、その人の言う通りだとすれば、明らかに私を産んだ女と男は愛し合っていなかった。  確かに二人は喧嘩しても同じ家で暮らしていたが、男はしょっちゅう帰って来なかったし、家にいても夜で、男が欲しがるままに女が相手をするだけの、それだけの関係だった。そのように私が感じたのは、遊女として男の相手をし出してからかもしれないが。  男の相手をする度に彼らは、おまえが好きだの、愛してるだの、そんな台詞を並べ立てる。  が、結局は本当に私のことを知ろうともしないで、自分の欲求を満たすだけの、ただの動物にすぎないことを、私は知っている。俺は本当におまえのことを愛してるだとか、おまえのためなら死ねるとか、文字を並べただけで中身が空っぽな言葉は、今まで散々聞いてきた。愛し合ってるふりをするために発する言葉に騙されて、その偽りだけの沼にはまっていく人も、散々見てきた。  正直に言えば、「沼にはまった」という点を除けば、私もその一人である。  生きていくために嘘は必要である。好きと言われれば好きと言うし、「恋愛」を楽しんでいるふりもする。  あくまで遊女として、相手の欲求を満たしてあげている。  そう考えれば、私もただのお人好しなのかもしれない。
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