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その居心地の悪さに、さっさと帰ろうと、私は男の手から傘を受け取り、立ち上がって会釈してから、その場を立ち去ろうとした。
するとどうだろう。男はまたもや突然、今度は後ろから、私に抱きついたのだ。
「俺、おまえが好きなんだ。」
その台詞を受けた瞬間、私はどこか残念な気持ちになった。
この男も、妓楼に来る男共と変わらない。
そう知ったからだ。
さらには偽善者ぶった直後というのもあり、私を沼に引きずり込める。
そうとでも思ったのだろう。本当に馬鹿だ。
「いきなりこんなことされて、好きとか言われて、ほんと訳分かんねぇよな。」
私は何も言わず、絶えず微笑んでいた。
分かってる。分かってるから。
あんたも遊びたいんでしょ?あんたも男だって言いたいんでしょ?
私を愛してるとか言って、同じ床で眠りたいんでしょ?
でもそれだけじゃ、私はあんたの言う通りになんかなってあげないわよ。
私は遊女。あんただって分かってるでしょ。
そんな心の声が聞こえるはずもなく、男はさらに私を強く抱きしめた。
きっと、他の男と同じように、俺のものになれっていいたいんだろう。
私は「もの」なんかじゃなくて人間だって事は、さらさら男たちの頭にはない。
「じゃあ、今夜は来てくださる?」
私は遊女としての役割を果たそうと、いつものようにそう男に言った。男は黙っている。
「…今日もお金がないのかしら?」
言われる前に、私はそう聞く。
「そうじゃないんだ。」
と、男は答えた。
金はある、ということなのだろうか?
「俺は…ただおまえと一緒にいたいだけなんだ。ただ隣で、笑っていてほしいだけなんだ。」
笑っているだけでいい…?
全く意味が分からない。
「自分勝手なことしたり、言ったりしてるのは分かってる。だが俺は…」
「そう言っていただけるだけで、私は嬉しいのですよ。
もう少しお話ししていたいいのですが、私行かなければならないので、失礼してもよろしいでしょうか。」
結局妓楼に来る気がないと分かった私は、急ぐ気持ちも確かにあったが、何よりこの気味の悪い状況を脱したくてそう言った。
すると男は、はっとして私を離した。
「すまん!出過ぎた真似を…」
恥で赤面する男に私は振り返って、微笑んだ顔のまま、
「ありがとう。」
と離してくれたことにお礼を言った。
そしてまた会釈をし、足早にその場を去った。
男が後ろから歩いてくる足音は聞こえなかった。
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