あいどんとくらい

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「トナリニスワッテモ、ヨロシイデスカ?」  女性の声が、まじかで聞こえた。  冬次は、驚いて顔をあげた。  灰色がかかった中、かろうじて人の形をしたものが立っているのがわかった。  軽い散歩をしたあと、公園のベンチで文学作品を読むのが、冬次の日課だった。  この日も、一息ついたあとベンチに腰掛けて、指先でタブレットの画面をなぞっていた。  昇り始めたばかりの柔らかい日差しが肌に心地良く、風もさわやかだ。 「トナリニスワッテモ、ヨロシイデスカ?」  声は、もう一度そう言った。  イントネーションがどこかおかしい。  音はきれいだが、調律のずれたピアノのようだ。  断る理由も見つからずに、冬次はどうぞ、と小声で促した。 「ホンジツハ、トテモヨイ、オテンキデスネ」  普段から、人付き合いは苦手だった。  まして、女性と会話をする機会なんてほとんどない。何を、どう返事していいのかわからなかった。 「空は目に染みるほど青いし、雲は綿菓子のように白い」  思わず、なぞっていた文章を、そのまま口にしてしまう。  反応まで少し間があったため、恥ずかしくなった。顔が熱くなる。 「ホントウ、デスネ」  発音はつたなかったが、返事は明るかった。  相手がにこりと笑ったような気がして、冬次は嬉しくなった。 「ナディア、トイイマス」  ナディアは、勝手に自己紹介をはじめた。  昨年、イギリスからやってきたそうだ。  研究員として、日本の電子機器企業で働いているのだという。仕事は母国語で問題なかったのだが、日常では言葉の壁が厚く、生活にまだ馴染めていなかった。 「そうなんですね。ぼくは冬次です」 「ドクショガ、オスキデスカ?」 「ええ、まあ」 「ジツハ、ワタシモ、コノ、コウエンヲ、ヨクアルキマス。マエカラ、冬次サンガ、キニナッテマシタ。ゴメイワク、デナケレバ、トキドキ、ハナシヲシマセンカ?」 「え?」 「コトバノ、レンシュウガ、シタイノデ」 「ああ」  突然の申し出に戸惑った。  彼女の言い分によれば、二人が出会うのは、今日が初めてではないようだ。  冬次はまったく気がついていなかったが、彼女にずっと観察されていたのかもしれない。 「いいですよ。僕なんかでよければ、喜んで」  冬次は承諾した。  イントネーションがおかしいため、感情は読みとれなかったが、ナディアの声はソプラノ歌手のように美しい。 「アリガトウ。冬次サンハ、ヨイヒトデスネ」  彼女が、にこりと笑ったような気がした。  あまり見えていないことに気がつかれないように、冬次もぎこちなく笑い返した。          *    四歳の夏、人件費削減で児童養護施設が取り入れた育児ロボットが、突然故障した。  食事の補助をしている途中だった。  スープをすくうはずのスプーンで、眼球をえぐり出された。逃げ出したくとも、冷たい鉄の手のひらで肩を強く押さえられて、幼い冬次は動くことができなかった。  すぐに失神したらしく、そのときのことはほとんど記憶に残っていない。しかし、育児ロボットの固定された笑顔だけは、今でもときどき夢に見ることがあった。  鏡の前に立ち、靄がかった顔を覗きこむ。  この半年間、自分の顔をまともに見ていない。  当時、最新技術であった電子チップ入りの人工眼を無償で手に入れたが、その機械の目も、このところ調子が悪いのだ。  物体の輪郭と遠近感はわかるのだが、色彩や細かい情報が脳まで伝わってこなかった。  銀色の波や灰色の膜がかかって、視界は不明瞭なままである。  失業中で生活は貧しく、新しい人工眼を買うどころか、修理に出す費用さえなかった。かろうじて日常生活を過ごすことだけはできたので、半年間、そのままの状態にしてある。  にきびができていないか、不精ひげが残っていないか、気になって両手で顔を撫でまわした。  以前までまったく気にしてなかったが、ナディアと出会ってからは別だった。  自分の容貌に不安を抱きながらも、点字機能のついている愛用のモバイルブックを手にとって、冬次は公園へと急いだ。 「冬次サン、ゴカゾクハ?」  公園で何気ない会話をするようになってから、一週間が過ぎていた。  研究員として異国の企業に採用されるほど、もとから頭はいいのだ。  ナディアはすぐに日本語がうまくなっていった。しかし発音だけは、いまだに奇妙な違和感があった。 「僕に両親はいません。生まれてすぐに、施設の前に捨てられていたんです」 「ソウ、ダッタンデスカ……」  憐みを受けているような気がして、冬次はまくしたてた。 「べ、別に困ることはありませんよ。確かに天涯孤独の身ですし、恥ずかしい話、親しい友達もいませんけど、住む部屋と必要なだけの食事、それと好きな読書さえできれば、僕はそれだけで満足なんです」  モバイルブックを掲げて、笑みを浮かべてみせる。  冬次は、自分が人工眼であることについて、ナディアに隠していた。心苦しくはあったが、話してしまうことで憐みを受けたり、嫌われることが怖かった。  生来のものではない機械の目。  外見からは見分けがつかないが、それを伝えることで、野次馬的好奇心を向けられたり、気味悪がられたこともある。  同情の言葉をかけられるのも嫌だった。  いかに心からの言葉でも、自分が不良品にでもなったような、劣等感が刻まれた。  そんなことが何度も積み重なり、いつしか冬次は、人との接触を避けるようになっていた。  ときどき引き受ける仕事も文筆業で、メッセージ機能があれば、人と会わずに事足りていた。  たいていの場合、いままで読んだ本のについて、ナディアに話した。  二人で過ごせるのは毎回一時間ほどだったが、ナディアが飽きぬようにと、冬次は一生懸命だった。  彼女は優しかった。  冬次の言葉に真剣に耳を傾けてくれ、話し下手な冬次が話しにつまったときなどは、必ず片言の日本語で合いの手を入れてくれる。 「冬次サンハ、ヨイヒトデス」  そして、最後にはいつもそう言って、冬次の心を温かくしてくれるのだった。          *  あるとき、珍しくナディアの方から話を切り出してきた。 「冬次サン、ワタシタチノケンキュウニ、キョウリョクシテ、クレマセンカ?」 「協力?」 「ハイ。ワタシタチハ、アタラシイキロクソウチノ、ケンキュウヲシテイマス」 「新しい記録装置……ですか?」 「ハイ。オトヤエイゾウダケデナク、ニオイヤアジマデキロクデキル、ソウチデス」 「へえ。ナディアさんは電子テクノロジーの研究をされているんですね」 「キョウリョクシテ、イタダケマスカ?」 「どういうことをすれば、いいんですか?」  ナディアは、しばらく黙っていた。  なんと説明していいか、迷っているのだろう。 「アナタノ、コトバニカンスル、キオクトキロクノ、チョウサ、デス」 「記憶と記録?」 「スミマセン、ウマク説明デキマセン。ダメ、デスカ?」  切実な響きに、冬次は大きくうなずいて、答えを返す。 「もちろん、協力しますよ」 「アア。アリガトウゴザイマス。トテモ、ウレシイデス。冬次サンハ、ホントウニヨイヒトデス」  ナディアは冬次の手を握り締め、喜びを表す。  その手は、まるで今まで冷水にでも浸していたかのように、ひどく冷たかった。         *  その日の夜、冬次は部屋にあるテレビを久しぶりにつけた。  もちろん、画面に何が映っているかなど、まったくわからない。しかし、音声だけでも充分に情報は得られる。  ナディアとの話題を探すために、冬次はチャンネルをザッピングしはじめた。 「AIの叛乱!」  情報番組の司会者が、大袈裟な口調で、番組のテーマを紹介している。  最近、自己判断プログラムを取り入れたロボットたちが、人間に反抗する事故が増えているという。  今の世の中、AIの活躍がめざましい。  二十世紀末にペット用ロボットが普及してから、二速歩行するロボットが開発され、またたくまにAIを搭載したロボットは、社会のあらゆる分野に実用化されていった。  危険な作業場や、警官、消防員はもちろん、事務員や販売員にまでロボットが起用され、今ではいたるところで見かけることができる。  一見、ばら色の二十一世紀だが、実際のところ、世界は長い不況に行き詰まっていた。失業者は増加する一方で、貧富の差だけが広がるばかりである。  どうして人間は、こんなにロボットを作り出してしまったのだろう。自分たちの働き場所を、ただ失ってしまっただけじゃないか。  もっと科学が進歩していない時代のほうが、人間は幸せだったんじゃなかろうか。  冬次はそんな感慨を覚えながらも、番組に聞き入っていた。 「いくらAIが判断力を持つようになったとしても、所詮、思考は二進法、人間のような複雑な思考を持つことはできないのです」  学者らしいコメンテーターは、冷静にそう解説している。  冬次は無意識のうちに、自分の両目に触れていた。  意識して開いたり閉じたりはできるが、普段は開いたままになっている。  今ではすっかり体に馴染んでしまったが、子供のころは眼窩に詰め物をされたような気色悪さが、嫌で嫌でたまらなかった。 「しかし最近では、AI自身が、新しいAIの開発を行うようになりました。いずれ、我々人類を凌ぐ知性を持ったロボットが、誕生することも考えられませんか?」  司会者は、煽るような口調で質問している。 「いえ、それは不可能でしょう。確かに計算能力や正確性において、AIは人類を上回っています。しかし、所詮は機械、感情や意識といったものは存在しません。不公平感や権利意識が自然発生するということはあり得ないのです。いま起こっているAIの叛乱というのも、結局はプログラムのバグや配線の故障にすぎません。AIが知性を持つという心配は、まったく必要ないと言ってよいでしょう」  育児ロボットがこの目をくり抜いたのも単なる事故だ。別に悪意を持ってやったわけじゃない。  冬次の手のひらに、ナディアの冷たい手の感触がよみがえっていた。  血の通っていない、ゴムのような感触。  さらに何人かの出演者の話しを聞き終えてから、司会者は、視聴者に向かって熱く問い掛ける。 「さて、コメンテーターの方々はこのようにおっしゃられていますが、番組をご覧のみなさまはどのように感じたでしょうか? AIが人間の思考に近いプログラムを開発し、人類を超越してしまう未来。私には、それも充分あり得る気がしてなりません」  AIの叛乱。  人間の思考に近いプログラム。  その夜、冬次は一睡もすることができなかった。  朝日が昇るまでの間ずっと、両目を奪った育児ロボットの白い顔が脳裏にこびりついて、冬次をあざ笑い続けていた。          * 「冬次サン、キョウハ、ゲンキガナイデスネ」  いつもより寡黙な冬次に対して、ナディアが控え目に語りかける。その悲しげな響きが、冬次の胸に突き刺さる。 「ケンキュウニ、キョウリョクシテクレルコトヲ、ナカマニツタエマシタラ、タイヘン、ヨロコンデクレマシタ」  励まそうとでもするかのような、明るい口調である。 「ナディアさん……その件なんですけど」  昨晩、必死で答えを考えた。しかし言葉に出すのはとても重かった。 「……ヤハリ、ダメ、ナノデスカ?」 「協力はします。しますが、あなたにどうしても尋ねておかなければならないことがあります」 「ナンデショウ?」  首をかしげる灰色の影を、冬次はまっすぐと見据える。こころなしか、ナディアの動きがぎこちなく感じる。 「ナディアさん、あなたはロボットなのではないですか? あなたたちは人間に対抗するために、新しい記録装置の研究をしているのではないですか?」 「イッテイルコトガ、ヨクワカリマセン」 「とぼけないで下さい。あなたたちは、人間の脳の構造を調べ、AI、人工知能に応用しようとしている。そのために、身よりがない僕を、実験に利用したい。そうですね?」 「冬次サン……」 「心配しないで下さい。だからといって、僕はあなたの申し出を断るつもりはありません。ナディアさん、僕はあなたに出会うまでは、本当に孤独で、人の優しさを受けたこともなかったし、人を愛したこともなかった。それでも別にかまわないと思っていました。しかし、あなたに出会えてそれは変わった」  熱い思いが込み上げてくるのを、冬次は必死に我慢した。大きく息を吸い込んでから、その思いを言葉に変える。 「誰かに優しくされることの喜びを知った。人を愛することの素晴らしさを知った。ほんの一時にせよ、人生に希望を見出せた。あなたにはとても感謝しています。だから、もしもその研究で僕の脳が切り取られ、命を失うことになったとしても、僕はあなたたちの研究に協力します」 「ワタシハ……」 「実は、僕もあなたに隠していたことがあります。幼いころ、僕は事故で両目を失いました。電子チップ入りの人工眼をしていますが、それも故障中で、本当はずっと、あなたの姿がはっきりと見えていませんでした。あなたに嫌われるのが怖くて、今まで黙っていたんです。すいません……」  冬次は、ナディアに向かって大きく頭を下げた。  しばらく沈黙があった。ナディアの影は困ったようにうつむいて、微動だにしない。 「冬次サン」  とても弱々しく、か細い、冬次が今まで聞いたことがないナディアの声だった。 「アナタノメガミエナイノナラ、ケンキュウニサンカデキマセン。シカクノキオクガナケレバ、キロクソウチトシテ、アナタノノウハ、フカンゼンデス」  冷たい手が、冬次の指先に触れた。 「サヨウナラ」           *  ……さようなら。  目の奥が熱くなってきた。  眼球のない冬次は、もう涙を流すことはできなかった。  代わりに、灰色の風景を切り裂くかのように、無数の銀色の波が目の前を走った。  涙腺に流れるはずの水分が、電子チップを刺激する。ニ、三度大きな波があった後、ふいに映像は鮮明に映し出された。  青い目、白い肌。  太陽の光を受け、きらきら流れる金色の長い髪。  事故で失ったのだろうか、右腕は肘から下が機械でできている。そしてその先には、最新型と思われる真新しいモバイルブックが置かれている。  ベンチの隣りには、今にも泣き出しそうな、美しいイギリス人が座っていた。                                  (完)
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