ツクヨミの受難

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ツクヨミの受難

 夜明け前。月神ツクヨミは天の宮殿の窓辺で月を眺め、その様子から運勢を読んでいた。美しく整頓された書斎の本や巻物が、ツクヨミの思慮深い横顔を映えさせる。 (嫌な雲のかかり方。何もなければいいけど……)  ツクヨミは眉をひそめたが、その不安は残念ながら当たってしまう。  遠くの方から豪快な足音が勢いよく迫ってきたと思ったところで、書斎の扉が勢いよく開け放たれた。 「アマテラスはいるか!?」  血相を変えて嵐のように飛び込んできたのは、弟神のスサノオ。ツクヨミにとっては悩みの種の1人でもある。 「ノックぐらいしなさいといつも言っているでしょう? また屋敷を壊す気?」 「そんなことはどうでもいい! 重要なのは姉上だ。もうすぐ夜明けだというのにまだ姿が見えない。こちらに来ていないか? 岩戸の方には行っていないようだが……」  “岩戸”というのはもちろん、かつてアマテラスが閉じこもり、世界が闇に包まれた「天岩戸」の事だ。 「今日は神議(かみはか)りだというのに、姉上は何をしているのだ!」  ツクヨミは大きなため息をついた。月占いに出ていた凶兆は、ツクヨミの予想をはるかに超えてしまっていたのだ。 「神議(かみはか)り」とは、年に一度、旧暦の11月に出雲で行われる最大の神事のこと。全国各地に住む八百万の神々が一堂に会し、出雲大社の祭神であるオオクニヌシを中心に、縁結びにまつわる会議が行われる。その後1年の縁の流れを決める重要な催しだ。 「太陽が昇らなければ神議りを始められんとオオクニヌシが嘆いておる! 姉上はどこで何をしておるのだ!」  オオクニヌシはスサノオの遠い孫にあたる神。スサノオとしては、元々アマテラスと性格が合わないうえに、かわいい孫が迷惑を被るとなっては、なおさら許すことができない。  今にも腰の剣を抜き出しそうな剣幕のスサノオ。筋骨隆々な体が怒りでさらに大きくなったようにも見える。  さすがに同情したツクヨミは、気を取り直して二度柏手を打った。  するとどこからともなく真っ白なウサギが現れ、書斎を覗き込んだ。ツクヨミは神使であるそのウサギに向かって叫ぶ。 「麒麟を呼んで!」  ツクヨミを背に乗せた麒麟は、光の如き速さで天を駆けた。本当なら風を切る心地よさを感じながら手綱を握りたいところだがそうもいかない。時間がないのだ。  ツクヨミは意を決し、近道である無数の(いかずち)が跳ね狂う黒雲の中に飛び込んだ。力ある神獣とはいえ、危険が伴う道を麒麟に抜けさせるのは申し訳なく、ツクヨミは小声で謝った。  アマテラスの神殿へと到着した時には、もうすでに日の出の予定時刻は過ぎていた。だが世界はまだ闇に包まれたままだ。  ここに来るまでの間に怒りを通り越していたツクヨミは、麒麟にまたがったまま神明造(しんめいづくり)の神殿へ突入した。もはや姉の状況など知ったことではない。  アマテラスの部屋の扉は、麒麟の前足によって蹴破られた。 「姉さんいるの!?」  ゴミだらけの部屋に空気が漏れるような音が聞こえる。ツクヨミが目を凝らしながら薄暗い室内を見渡すと、ちょうど麒麟の頭で隠れているあたりにアマテラスのものらしき足が見えた。寝間着をはだけながらいびきをかいて眠りこけている若い女性の姿がある。太陽神アマテラスその人だ。  右手にはテレビゲームのコントローラー、左手にはお神酒徳利(おみきどっくり)がしっかりと握られていた。  怒りの血管が額に浮かびあがりそうなほど顔が引きつったツクヨミは、麒麟から降りると寝間着の胸倉をつかんで揺さぶった。 「こら起きろクソアマ! もう朝、っていうか今日は神議りだよ!」  揺さぶりに怒鳴り声が加わって、ようやくアマテラスは目を覚ました。 「う~、次のラウンドで王冠が……。頭いたぁ……。」 「頭痛いじゃないよ。もう夜明けの時間過ぎてるんだから。早く起きて起きて!」  寝間着を引っ張られて強制的に体を起こされるアマテラス。まだ夢と現実の区別が付いていない。  食器に徳利、古文書に雑誌にぬいぐるみ。ゴミとインテリアの区別がつかない部屋に、またツクヨミはため息をついた。それと同時に、吸気に混じって鼻に入った酒類特有の臭いに、意識を失いそうになる。 「うっ……。またこんなに呑んで……」 「オオモノヌシがさぁ、新作送って来たんよ。味見してほしいって言うからさぁ……」  オオモノヌシは古事記に登場する酒の神のこと。酒臭さに満ちたアマテラスの部屋には、人間界の生活になじみ深い家電も多い。そのうちの1つであるテレビには、見慣れないゲームの画面が映し出されていた。 「あっ! また下界で買い物して!」 「シーズンパス1つだけだよぉ……。ツクヨミが欲しがってた武器ドロップできたから許してぇ」 「えぇっ!? あの神器!?」  声が裏返る。 「そだよー。ずっと手に入らないって言うから、あたしも手伝おうと思って」 「姉さん……」 「ツクヨミ……」  二人の間に優しい時間が流れ……ようとしたところで麒麟がいななき、ツクヨミが我に返る。 「危ない危ない。そんなことしてる場合じゃない! 今日は神議りなんだから、オオクニヌシが困ってるよ。早く準備!」  姉に隙を見せると調子に乗ることを思い出したツクヨミ。だがスサノオの名前はあえて出さなかったのは、とっさに出た優しさかもしれない。ここで仲の悪いスサノオの名前を出して拗ねられてはたまらない。  それが功を奏したのか、低い声とともに渋々動き出すアマテラス。その所作に神の威厳はまるでなく、むしろ地獄の亡者。おぼつかない足取りで洗面所へと向かった。  隣の部屋から水が跳ねる音がツクヨミの耳に届く。 「そういえばさー、父さんは来るのー?」  アマテラスがふいに尋ねてきた。“父さん”というのは、アマテラスたち兄弟の父にあたるイザナギのことだ。 「多分来るでしょう。孫の晴れ舞台だもの」  大量の食器と徳利を片付けながらツクヨミが返す。 「ふーん。母さんは?」 「無理に決まってるでしょう。もう何千年来てないと思ってんの」  “母さん”とはイザナギの妻である女神イザナミのこと。しかし二人は黄泉平坂(よもつひらさか)で絶縁状態となり、それが今も続いている。 「……だよね」  少し声のトーンが落ちたアマテラスが居間へと戻り、八咫鏡(やたのかがみ)を前にしてメイクを始めた。 「はい勾玉。麒麟待たせてるから手早くね」  ごみの片付けを終えたツクヨミが、装飾具の勾玉をアマテラスの傍に置く。 「はいはい、分かってますよー」  と言いながらもメイクのペースは上がらない。女性誌のメイク特集を参考にしながら顔を整えている。  姉のだらしなさを背中から眺めつつ、腕組みをしたツクヨミのため息は回数を増す。 「たまに姉さんが分からなくなるよ、本当に神様なのか。こんな姿誰かに見られたら、また岩戸の時みたいに古事記にスッパ抜かれるよ」 「もー、みんな放ってくれればよかったのよ。あれ絶対ウズメがチクったに違いないわ。あの時wi-fiとプレステがあったら、私絶対出ていかなかったのに」  アメノウズメは、天の岩戸の前で踊りを披露してアマテラスの興味を惹きつけた踊り子で、今では芸能の神として崇められている。 「あんたは良いわよね。古事記にも日本書紀にもほとんど抜かれてないじゃない」  マスカラをつけながら悪態をつく。 「そりゃあ、その辺はうまくやってますから。姉さんとは違いますよ」  アマテラスの言う通り、ツクヨミにまつわる伝承は極めて少ない。それは、夜を司る神であるツクヨミの巧みな処世術なのかもしれなかった。  ツクヨミの手助けによりようやく準備を整えたアマテラスは、ツクヨミと共に麒麟の背に乗って出雲へ飛んだ。  大社造(たいしゃづくり)の社は、すでに各地から集まった多くの神々でごった返していた。  干物のような状態から一転、身なりを整えたアマテラスが放つ輝きは、太陽のそれと等しいほど。他の神々は羨望の眼差しでアマテラスを迎えた。 「相変わらずお美しい……」 「本当に素敵……」 「眼福ですな。はるばる参って良かった……」  あちこちから感嘆の声や黄色い歓声が上がり、アマテラスが優しい微笑みと会釈でそれに応えると、また歓声が上がる。  すぐ後ろにツクヨミもいるのだが、人気も視線もアマテラスが一人占め。もはやその後光で存在がかき消されそうな雰囲気すらあった。  微笑みをうかべたままアマテラスは流れるように扇を開くと、口元を隠しながらツクヨミに尋ねた。 「ねぇねぇ、聞いた聞いた? やっぱり流行りのメイクにして正解だったわ。あの雑誌、定期購読しようかしら」  嬉しさで口元がゆるんでいるのが見なくても分かる。 「あーいいんじゃない? まずは早いとこ世界に朝を届けてあげてね。みんな待ってるよー」  抑揚のない言葉で返すツクヨミ。だがすでにその気になっているアマテラスには絶賛の言葉として届いたようで、目を細め、だらしない口元を隠したまま儀式の間へと向かった。  儀式に入る姉と分かれたツクヨミ。辺りの神々はまだアマテラスの話で持ちきりだ。日頃のズボラさを知らない神々たちが、姉の美しさと神々しさを絶賛している。  その様子に呆れたツクヨミの胸に、懐かしい記憶と感情が甦って来た。 (やっぱりもう一度、誰かに暴露しようかな……) 終わり
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