わたしは私を演じ続ける

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 俊介の元カノはすぐに取り押さえられて、頭部から血を流し気を失った私はドレス姿のまま病院に搬送された。  どうして俊介は恋愛恐怖症になったのか。それはひとえに、彼の元カノがあまりにも、病的なまでに俊介のことを好きだったからだそうだ。  電話、メール、メッセージアプリ、果てはSNSのDMに至るまで、あらゆる端末・媒体での送受信記録の確認は当たり前。一言でも他の女子と会話すれば何を話していたのか事細かに聞かれ、さらには翌日移行その女子は自分に一切言葉を返さなくなる。  その独占欲の塊のような愛は、まだ中学生である俊介の心を壊すには十分すぎるほどの狂気だった。  高校進学の時期に一方的に別れを告げ、彼女との関係には終止符を打った。  そのはずだったのに。彼女は約10年もの時を経て、もう一度彼の前に姿を現した。  その後の警察の調べて、彼女は動機をこう語った。曰く、「彼が私を捨てたのが悪い。私を捨てたからには、幸せになるなんて許さない。彼が最も幸せな瞬間に、その幸せをぶち壊してやろうと思った」とのことだ。  それから約3週間、私は目を覚さなかった。  その間、彼はほとんど泊まり込みで私の病室に通い詰めていたのだという。  医師によると、私はずっと目を覚さない可能性もあって、そのことは俊介にも伝えられていたらしい。それでも彼は、諦めなかった。  わたしが目覚めて、彼は心底安堵しただろう。だけど彼はそこで、もう一度絶望を味わうことになる。私は目覚めてなどいなくて、目覚めたのは、彼が愛した人と全く同じ外見の、彼のことを知らない別人(わたし)だったのだから。  だけど。  それでも彼は、諦めなかった。  それからというもの、彼はことあるごとにわたしを外へ連れ出して、いろんな場所に連れていって、いろんな人に合わせた。  決して無理強いはせずに、わたしのペースに合わせて。  私の記憶を取り戻すためなら、彼はどんなことでもやった。  2人の思い出の場所を巡るのに始まり、2人がお世話になった人や私の知り合いに片っ端から会いに行ったり、脳の活性化にいいとされる食材やサプリを買い漁ったりもした。  果てには霊験あらたかな山の奥地で謎の霊媒師による失った記憶を霊体から取り戻す儀式とかいうトンデモにも挑戦してみたりして、さすがにあれにはわたしも彼も後悔したけれど(笑)  とにかく、彼は私のためならどんな努力も惜しまなかった。  そんな時間が一年も過ぎる頃にはわたしは彼のことを好きになっていた。  彼のひたむきさと、誠実さ。それを間近で見せられて、どうして好きにならないでいられるだろう。  だからこそ、彼の心がわたしではなく私に向けられていることに落ち込んだりもした。  だけどそれ以上に、わたしは彼に幸せになって欲しかった。  わたしは1年が経っても、記憶を取り戻すことができない自分に焦りと苛立ちを覚えていた。  彼が求めているのはわたしではない。彼を本当の意味で幸せにできるのは、私しかいない。だから1日でも早く、記憶を取り戻さなければならないのに。  わたしは彼への愛情を自覚してからさらに、記憶を取り戻すことに必死になった。  けれど。  現実はいつも残酷だ。  それからさらに1年が経っても、わたしの記憶はもとには戻らなかった。  そしてわたしは悟った。わたしの記憶は多分、もう戻っては来ない。  戻ってくるとしても、いつになるかわらからない。  そんな不確定な未来に賭けるくらいなら。  わたしが彼を救ってみせる。わたしが彼を、幸せにしてみせる。  わたしは、兼ねてから密かに準備していたある計画を実行に移した。  それから約1ヶ月後、わたしは記憶を取り戻した。  その時の彼の救いと喜びに満ちた表情を、わたしは一生忘れることができないだろう。  彼を絶望から救うことができた喜びと、彼を騙したことへの罪悪感によって。  私はかなりマメな人物だったようで、子供の頃から大人になるまで、毎日日記をつけていた。はじめは、記憶を取り戻すきっかけになりはしないかと思い読んでいただけだった。だけど途中から、わたしはもう一つ別の目的を持って日記を読むようになった。  この日記を全て読み、ある程度内容を記憶できれば――  わたしは私を演じられるかもしれない。  そう。わたしは、記憶を取り戻したフリをすることを決めたのだ。
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