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紙切れ一枚
【隠すより現る】
隠し事は、隠そうとすればするほど、かえって人に知られてしまうものである。
待っている間、暇つぶしに雑誌コーナーで手にとった人生のなんたらって本。たまたま目にしてしまった一文。見なきゃよかった。ぞんざいに戻してソファーへと戻る。
隠してしまいたい気持ちの何が悪いのだろうか。人に知られてしまうのが嫌なのに、「それが裏目にでるのです」なんて言葉が嫌い。そんな正直が正しい世界が嫌いだった。
でも、それは普段の私を知っている人がいたらの話だ。知らなかったら隠す前と後の違いに気づくはずがない。うまく隠せるようにそれが自然であるように誰も知らない場所へこれた私はもう自由なのだと。
白い扉が開くのを待つ、もう誰も私を気にしないだろう、そう思っていた。
なのに、
「あなた盗みをしたことがあるんですね」
ようやく通された白い扉の向こう。面接官と名乗る男に自己紹介も少々でこれ。確認だとつらつら聞きたくない言葉を発してくる。
「他にもいじめ、事故、あとは盗撮ですか」
「なんで」
「整形も。写真とずいぶん面影が違いますが、こちらお間違いありませんか?」
「わ、私は向こうへは行けないっていうなら、はっきりそう言ってよ。何よこれ。尋問なの!」
「いえ、ただの確認です。こちらは貴方ですか?」
「そんな顔、私じゃないわ」
見たくもない、過去の私なんか。
「でも書類にはそう書かれていいますよ」
一枚の紙が提示され、そこにはうぞうぞと小さな文字の羅列が歩き回っている。
人生の履歴書のようなものなのか。私の人生がこんな紙切れ一枚に収まっていた。
振り返るのもおぞましい過去。
どうして。ここはもう安全な場所じゃなかったの。
窓の向こうの景色はあんなに穏やかな世界が広がっているのに。木漏れ日の中でベンチに座っている人、原っぱで走り回る人、寝転がる人。どれもみんな憑き物が落ちたように楽しそうだ。
「ここはあの世じゃないの」
「ええ、死後の世界です。落ち着いてください。誰もあなたの罪を咎めるために質問しているのではありません」
「じゃあなんで」
「先程も申したとおり、事実の確認です。向こうの世界で罪を犯したからといってこちらの世界にはいれないなんてことありませんし罰せられることもありません」
淡々と説明する面接官。その姿は黒いモヤで揺れているだけ、実態もなければ顔色さえわからない。それを素直に受け入れている私は、故に死んでいると自覚するのだ。
「もう一度ききます。ここに書かれていることは全て事実ですか?」
「……」
彼の言葉を信じていいのだろうか?
信用。そんな言葉死んだ後まで考えることになるなんて。
地味で馬鹿な女だといじめられ、悔しくて自分より弱い人間をいじめた。けれどいじめはひどくなる一方で脅されてコンビニで盗みをした。それ以来コンビニへ行けなくなった。青春なんてあってないようなもの。好きになった男子に声をかけることさえできない。影からこっそり写真を撮っていたら、その子に気味悪がられた。頑張って貯めたお金で車を買った日に猫を轢いてしまった。怖くて逃げて、猫を見るのが怖くなった。私の人生は一度転べば転がり落ちるだけだった。それがいやでどうにかしたくて、嫌いな自分の容姿を整形でリニューアルした。少し自信が持てたように勘違いして、さらに整形資金欲しさに会社の金を盗んでしまった。
結局は弱い自分という欠点を隠そうとして失敗し続けたのだ。
『隠すより現る』
嫌いな言葉だが的を得ていたようだ。
最後は私という存在を隠すため海へ飛び込んだ。
死んだらこんなA4の紙切れ一枚に収まってしまうあっという間の人生だったのだ。
たった一枚、されど一枚。
そしてもうそれは戻ることのない過去になった。息をゆっくり吸って長く吐く。
「はい。全部事実です」
私自身が隠したがった『私の人生』。
死んだ後でさえ隠したって意味がない。
もう終わったのだから。
最後の最後に私は初めて胸を張った気がした。
「そうですか。では確認がとれましたので、あなたはこの後簡単なこちらのしくみの説明を受けてもらいます」
「あの、本当にこう映画とで見る地獄のような罰が待ち受けているってことはないですよね?」
「ありませんよ。死んだら“終わり”なんですから。死後の世界は少しの間だけ存在する自由時間。あなたはもう自由なんですよ」
黒いモヤの面接官が少し笑った気がした。私もつられて笑ってそして泣いた。
彼女を見送り、紙切れを火にくべる。
「しょちょー送り届けてきました」
「あぁ、ご苦労。次の人を呼んでくれ」
「働いている自分で言うのもなんですけど、結構死んだらゆるゆるですね」
「後は魂に残っている人格が消えるのを待つだけだからな。死後の世界で過ごせるのは僅かな時間でしかない」
「それでもさっきの彼女、かなり微妙な気がしますけどね。個人的に」
死後の世界でも問題がありそうな人格は、即刻浄化する。がルール。
「彼女は自分の行いを最後の最後に受け入れたんだ。窮屈な人生からやっと抜け出した。それで十分だろう」
向こうの罪のルールなどこちらにいわせればたいしたことではないのだ。所詮は別物。勝手に向こうが作ったルール。死んだら消えるだけなのだ。
「かー。そんなんだからここの支社はゆるゆるだっていわれるんですよ〜」
「よそはよそ、だ。……彼女だって自分を変えようともがいた、もしかしたら続いた人生で自分を隠さなくても良い世界があったかもしれない。が、死んでしまったら確かめようがない。我々はこの紙切れからは過去しかわからないからな」
感情なんて記録できないのだ。だから最後の最後のこの手続きも形だけの作業だ。それでもひとりひとり言葉を交わすようにしている。
死後、人格が消えるまでの僅かな時間、穏やかに暮らせるようにと願う。
安らかに消えるその時まで……。
了
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