紅に染まる

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 煙草を片手に私の方を向いた先生が不敵な笑みを浮かべる。オレンジや金色の光に包まれて先生の輪郭がぼやける。まるでこの世の人間じゃないみたいにキラキラと輝くから、惑わされそうになる。  いつもより先生が格好良く見える気がするのは、きっとこの黄昏のせいだ。 「それに日本語って、世界一美しい言語だと思わないか。例えば今の時間帯のこと。黄昏。誰そ彼。逢魔が時、日暮れ、日の入り。一つの事柄にも多彩な表現がある」  薄くて形の良い先生の唇から紡がれる日本語は、美しい呪文のようにも聞こえた。先生のそのいつもと雰囲気の違う姿も相まって、多分、魔法をかけられてしまった。  だから空を撮りたかったはずなのに、先生から目を逸らせなくなっているんだ。正直もう空の写真は割とどうでもよくて、少しでも長く、先生と二人きりの時間を過ごしたいと望んでしまっている。  ただ、先生の気持ちがわからない。一人でゆっくり煙草を吸いたいところに私がいて、早く場所を移れと内心舌打ちでもしているかもしれない。  離れた方が良いのか、それともこのまま傍にいても良いのか。先生の本心を考えあぐねていると、先生の方からまた言葉が投げられた。 「綿矢(わたや)はどうなの。将来何になりたいの?」  質問が向けられたということは、私は先生の傍で会話を続けて良いということだ。それがわかったことにほっとした。だけど、質問の内容に困ってしまった。  だって私には、将来の夢がない。 「まだわかりません」  わからない。自分の未来には期待も興味も持てずに生きてきたから。  それなりに成績が良ければ親に勧められて身の丈に合った大学に進むのだろうし、そうでなければ適当に就職するのだろう。写真を撮るのは好きだけど、それで生活していけると思うほど自分のセンスを過信してはいない。  こんな答えは先生を失望させるんじゃないかと不安になって、逃げ場を求めるように目を伏せた。
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