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まだ深緑の木立が残るランニングコースの真ん中で、涼子は急に走るのをやめて立ち止まった。
「康平、あれ、何?」
涼子は右に分岐する小道の少し先を指差した。一緒に走っていた康平は、速度を緩めてサングラスを外した。初秋を感じさせる優しい木洩れ日に反射して、何かがキラッと光った。
二人は誘われるように小道を進んだ。涼子はすぐに「あった」と砂地にしゃがんで何かを手に取り、振り返って康平に見せた。それはブレスレットだった。
「誰かの落し物かな?」
涼子はまじまじとブレスレットを観察しながら呟いた。ラウンドブリリアントカットのダイヤモンドがひとつ付いたプラチナのブレスレットは、上品な輝きを放っていた。
「この先は別荘地だから、そこに遊びに来た人のじゃないか?」
「警察に届けたほうがいいよね?」
「いやー、ややこしいのはご免だよ。名前や住所を聞かれるだろ?」
「きっと落し主は困ってるはずよ。だってこれ高そう。有名ブランドのものだし……」
康平は眉根を寄せて返事に困っている様子だった。
涼子は一年前に地方で開催されたマラソン大会で康平と知り合った。ゼッケンを受け取る列に並んでいた涼子に、たまたま後ろにいた康平が声をかけたのが始まりだった。
電機メーカーに勤める涼子は独身だか、歯科医師の康平には妻子があった。頭ではいけないとわかっていても、意気投合した二人は東京に帰ってから連絡を取り合った。
マラソンが趣味の涼子にとって、エリートランナーの康平は頼もしい存在だった。一緒にトレーニングをした後食事をするうちに、涼子の心はどんどん彼に傾いていった。
走ることに関しては少年のように純粋なのに、時として魅力的な大人の男の顔を見せる康平。彼に対する気持ちが尊敬なのか恋愛感情なのか思いあぐねているうちに、気づけば愛し合う関係になっていた。
秋雨の合間の晴れた日曜日に、軽井沢でランニングを兼ねたデートをしているのが彼の妻に知れたらそれこそ修羅場だ。康平はどんな些細な証拠も残したくないと考えたのだろう。
「わかってるだろ?」
「わかってる。でもやっぱり後で警察に届けておくわ。私が一人で行くから、それなら問題ないでしょう?」
涼子はブレスレットを背中に担いだキャメルバッグの中に丁寧にしまうと、康平を見てにっこり笑った。彼は明らかに不服そうな顔をしたが、涼子はなぜかブレスレットをここに残したまま立ち去れない気がした。
二人は元のランニングコースに戻ると、ゴールに向かって何事もなかったかのように走り出した。
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