プロローグ

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桜木智花、23歳。 大学病院のICUナースに配属されて3年目の春を迎えた。 今までの道のりは切磋琢磨の日々。 仕事が一人前にできるようになるためだけに生きてきたといっても過言ではないほどに無我夢中でここまできた。 この年代の看護師はきっとみんなそうだろう。 新人時代を振り返ってみると、慢性期病棟を希望していた思い虚しくICU病棟という真逆の世界に配属されてしまった私はその時この世の終わりを感じた。 鬼のような顔をした師長さんに、冷たそうにみえる先輩達。 みんなが敵に思えて毎日仕事に行くのが嫌だったあの頃。 だけど辞める勇気はなかった。 必死で耐える毎日だった。 我が大学病院は三交代勤務。 深夜勤は0時から8時。 日勤は8時から4時。 準夜勤は4時から24時。 全ての勤務で残業は当たり前。 日勤が終われば受け持ち患者の残務の後、そのまま深夜勤という勤務体制だ。 (日勤から深夜勤をする場合、夕方から自宅で仮眠をとり、再度出勤) 看護師の仕事は重労働と聞いてはいたけれど納得だ。 新人の頃は30分しか仮眠せず出勤することは度々あったけれど、キツいと感じた記憶がなかった。 きっと若さ故に出来たことだ。 ICUという命に直結する機械音と様々な管に繋がれて治療している患者さんが入院しているこの現場にいつも緊張の毎日だった。 バイタルサインやインアウトバランスのチェック、点滴など時間で施工することも優先順位や時間配分が新人には難しく 先輩や師長には厳しく指導された。 急変に気付くのも看護師の重要な役割だった。 新人の頃は何が正常で異常なのかはわからない。 国試の勉強で学んだ正常値や疾患に見られる症状などはすぐに臨床で活かせるものでなく、この頃は机上のものでしかなかった。 患者さんに絶対に危険がないように。 今日こそは先輩に怒られないように。 毎日が緊張の日。 3ヶ月、半年経っても初めてが毎回起きる現場になかなか慣れず辛かった。 そんな苦しい日々だったけれど、私には心強い同期がいた。 松原季子という同期の存在なくして今のは私は存在しない。 これはお互いがそう思っていることだろう。 新人の頃はよく季子の一人暮らしのアパートで勉強をした。 そして私達は2年目になった。 今まで以上のことが求められるステージだった。 今までしてきたことを繰り返し実践して身についていくこと。 二年目後半になると少しずつ看護に自信が持てるようになっていた。 後輩に指導をする立場になったり。先輩達とも仲間になったり。 できることが増えて、頼られることが嬉しい。 充実した気持ちが生まれたのが2年目の頃だ。 そしてICUに身も心も馴染んできた看護師3年目。 必死で働いていた2年目までは見えなかったものが見えてきた。 病棟は相変わらず急患や術後管理などで忙しく、休憩時間もほぼなし。 不満もあるし、平凡だと感じるようにもなっていた。 刺激が欲しかった。 そんなことを考える余裕が頭の隅に出てきていた。 それは看護師3年目の秋だった。。     
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