第壱章段 宇治拾遺物語

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5  その時、何となくだが……。諾子の頭の中で誰かが叫んだような気がした。 (……お願い……を……助けて……早く……)  それが一体、何なのか。誰の声なのかは分からない。だが、その声が頭の中で聞こえたと思った瞬間、諾子はすぐさま飛び出し、目の前の女子高生に覆い被さっていた。 「皆、伏せろ! 則光、そのコート貸せ! 早く!」  その諾子の声に、カフェのエリアに居た全員が机の下に隠れる。則光も身を低くして、諾子に黒のコートを投げた。黒のコートを自身とその女子高生に被せる。  しばらく待つが、何かの衝撃音や発砲音は聞こえない。だが、諾子は自身の経験から、が何なのか悟っていた。そして、念の為に女子高生が座っていた机を確認する。そこには2~3㎝程の大きさの穴があった。 (弾痕……やっぱり、狙撃か……。でも、何でわざわざ女子高生を狙う必要が?)  しかし、考えている暇は無かった。  何かが諾子の頬を掠め、地面に激しく何かが打ち付けられたような金属音。まだ、ライフルか拳銃がこちらを狙っていることは明白だった。しかし、彼女の脳裏に「このまま逃げる」という選択肢は何故か無かった。 (目の前にいる彼女を守らなければ……)  諾子自身、何故、このような考えに至ったのかは理解できない。どうせ、赤の他人なのだし、無視して逃げれば良いじゃないかという選択肢を理性では理解していた。だが、自身の本能・感情がそれを許さなかった。  ここで、床に何かが落ちているのが分かった。トレイだ。先程、ライフルか何かで打ち抜かれた方の半分。 「則光! これを!」  半分になったトレイを則光に放り投げる。 「アンタの異能草紙なら、これを撃っている奴の方向に投げられる筈。当たらなくても良い。気を逸らすだけで良いから。あたしはその間に、この()と逃げる!」  コクリといつもの不愛想な顔で頷く則光。いつもなら、腹立たしい顔だと思うが、今は何故か頼もしく見えた。 「大丈夫ですか? 立てますか?」  コートの中で一緒に蹲っている女子高生に訊ねる。女子高生は弱々しく頷き、囁くような小さな声を出した。 「……はい。……何とか」 「私が合図したら、ここから。いいですね?」 「……え?」  女子高生が何かを聞き返そうとした瞬間だった。 「使用者(ユーザー)認証確認。人工知能接続完了。異能草紙『宇治拾遺物語』巻11-8。起動します」  無機質な電子音。と同時に宙に放り投げられるトレイ。それは京都駅の大階段や空中経路に届くのではないかと思われるほど、高く上がった。  諾子は文学部だから知っていたが、「宇治拾遺物語」の11巻の8は「則光、盗人を斬る事」という話だ。奇しくも、彼と同じ名前である平安時代の貴族、橘則光が盗賊に襲われ、逆に取り押さえて返り討ちにしたという内容。その内容を基にした異能草紙ならば、あのくらいの怪力は頷けた。  乾いた発砲音。元々、半分だったトレイがさらに空中で砕け散る。  女子高生の居た席から下の烏丸中央改札口を見る。そこでは、何かの破壊音に大勢の人がこちらのエリアを眺めていた。その場から急いで離れる人も居たが、呑気にスマホをこちらに向けている人間も多い。 「失礼します」  黒いコートを頭に羽織ったまま、諾子は女子高生を両手で抱えた。俗に言う「お姫様抱っこ」の体勢で。女子高生に悪い気はしたし、諾子自身も気恥ずかしい思いはあったが、何せ非常時なので罪悪感や恥ずかしさを感じている余裕は無い。  諾子はカウンター席に足を掛け、そのエリアから地上へと飛び降りた。途端にその場から逃げ出す人々。地上が近くなると感じた瞬間に、すねの外側を地面に向けた。尻、背中、肩と転がり、衝撃を和らげて着地する。  すぐさま立ち上がり、抱えている女子高生に訊ねた。 「お怪我はありませんか?」 「……大丈夫ですけど。こういう事するなら、先に言ってくださいよ……」  か細い声が聞こえた。文句を言える状態なら、まぁ大丈夫だろう。 (……ひとまず、着地できたのは良いが……。ここから、何処へ逃げる?)  エスカレーターを上って東広場の方へ逃げるか……。はたまた、人の多い方向へと逃げて紛れるか……。  諾子が逡巡していると、女子高生が唐突に諾子の手を引っ張った。 「早く、こっちへ来て!」 「え? ちょっ!」  引っ張られるままに駅の出口へと向かう。目の前には京都タワーが大きくそびえ立つ。そして、連れられた先は観光客が大勢居るバスターミナルだった。  だが、バスロータリーとその場所でバスを待っている観光客達から少し離れたエリア、郵便局の手前の道に大きな黒く長い乗用車が停まっていた。リムジンだ。諾子も名前は聞いたことはあるが、乗ったことは無かった。  女子高生はハァハァと息を切らしながら叫ぶ。 「早く! あの牛車(ぎっしゃ)に乗って!」 「へ? 牛車? リムジンじゃなくて?」  確かに、リムジンの後方のドアには、私が学部の講義で見たことのある「大きな二つの車輪に人が乗る『屋形』、その前方にある(くびき)に牛が繋がれている様子」の「牛車」の絵が金箔で描かれていた。 「早く!」  女子高生が諾子の手を引く。突然、諾子はその手の感触を何処かで感じた事のあるような既視感(デジャヴ)に陥る。 (いや、私が体験した記憶や感覚じゃない。だが、に手を引かれる感覚が私の手に残っている……)  諾子は不思議に感じ、走りながら自身の手を眺める。そこで、またしても頭の中で響くかすかな声。 (……言、こちらへ来て……)  先程の女子高生の声に似ているような似ていないような声。しかし、先程のカフェで頭の中に聞こえてきた声とは別物であるように思えた。 (何だか知らないが、先刻(さっき)から頭の中で複数の人物の変な声が聞こえてくる……! 病気なのか!? ってか、何なんだよ! この状況! アタシ、面接を受けに来ただけなんですけど!)  唐突に起こった狙撃事件に加えて、自身の身に起きている妙な感覚。諾子は言い知れぬ不安を覚えた。  ふと気付くと、リムジンの扉は私の目の前に迫っていた。女子高生が思い切り、扉を開く。 「乗って!」  乗り込んだ女子高生がこちらに手を伸ばす。その手を掴み、私は「牛車」に乗り込む。扉が大きな音を立てて閉まり、車が発信する。 「登華殿ビル地下に向かってください」  女子高生は運転席に居る運転手に声を掛けた。頷く運転手。だが、こちらを振り向くことはない。(運転中だから、当たり前なのだが……) 「さて、ようやく落ち着いて、貴方とお話が出来ますね」  女子高生が凛とした声を発して、こちらに向き直る。先程はじっくりと見ている暇は無かったが、今の状況なら、この女子高生が只者ではないことは火を見るよりも明らかに分かる。   ―――宮は白き御衣(おほんぞ)どもに、紅の唐綾二つ、白き唐綾と奉りたる。御髪(みぐし)のかからせたまへるなど、絵にかきたるをこそは、かかる事は見るに、うつつにはまだ知らぬを、夢の心ちぞする。  以前、読んだ枕草子の原文を何故か、思い出した。深雪のような透き通った肌、白銀の長い髪、白魚のような指と日本人形のように細く美しい足、すらりとした細い体型(スタイル)に、純白の学生服が映える。背筋はぴんと立っており、その風格から何処となく良い家のお嬢様の雰囲気が漂う。  その少女は菩薩のような柔和な微笑みを浮かべ、私の目をじっと見ながら口を開く。その透き通った黒真珠のような漆黒の輝きを持つ瞳に吸い込まれそうになる。そして、その少女の声は、まるでこの世の者では出すことが出来ないであろう滑らかで硝子のように繊細で透き通った声だった。 「初めまして。私の名は。今回の貴方の入社試験の面接官、並びに藤原グループでは中宮という役職に付いています。以後、お見知りおきを……」   ―――これが清原諾子(清少納言)藤原定子(中宮定子)の二度目の出会い ―――そして、もう一つの「枕草子」の物語
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