第壱章段 宇治拾遺物語

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3  そして、現在に至る。諾子は京都に来てから一年、何か辛いことがあった時は景色を眺めるようにしている。高所からの展望、神秘的な森林や神社、賑やかな街並み、それらが荒んだ心を落ち着かせてくれる。そして、京都は心が洗われるような美しい景色を持つエリアが多く、早朝の京都駅南広場もその一つだった。  時刻はまだ午前六時半。待ち合わせの時刻まで、あと三十分近くもある。 (まだ、この景色の余韻に浸っていよう……)  彼女がそう考えた時だった。 「おい、諾子! こんな所に居たのか。探したぞ!」  余韻をぶち壊すデカい声。背後を振り返ると、黒いスーツの上に大きな黒のコートを羽織った、諾子がよく見知った顔が立っていた。 「則光(のりみつ)……、アンタ、何しに来たのよ。関係ないでしょ」  背が高く屈強なスポーツ刈りの大男、橘則光(たちばな のりみつ)の姿を見て、諾子は顔を(しか)めた。彼は諾子の幼馴染であり、許嫁なので幼少の頃からうんざりする程、顔を見合わせている。諾子が京都の大学を志望していると聞いた途端に何故か則光も一緒の大学を受験し、諾子が文学部、則光が理工学部に合格したので、これで目出度(めでた)く十年以上の付き合いとなり、自他共に認める腐れ縁である。ただ、許嫁といっても諾子には則光に対する恋愛感情は無く、則光の方も実家の橘家から諾子を守るように言われているからという理由があってこその付き合いだと割り切って考えている。実際、諾子が現在住んでいる女子学生寮の向かい側にある男子学生寮で彼は暮らしているのだが、プライベートで一緒に出歩いたり、お互いの部屋に遊びに行ったりということは一度も無かった。だからこそ、諾子は何故、則光がこの場に来ているのかを不思議に思っていた。  則光は肩をすくめて、溜息をついた。 「俺は藤原グループで働いているからな。ウチの親父とお前の親父さんに今日の面接の事を聞かされて、『付き添いで行ってやってくれないか?』と頼まれたんだ。それに本社の面接官の方からも、お前の案内を頼まれたからな。面接はこっちで行う。付いて来い」 「え?……ちょっ、ちょっと待っ……」  色々と気になる点があったような気がするが、則光がさっさと話を進めて歩き出してしまう為、突っ込むことが出来なかった。別に彼は悪気があるわけでなく、単に人とコミュニケーションを取ることが苦手な為に不愛想になってしまう事は諾子も知っていた。仕方なく、大柄な体でずんずんと歩いていく彼に必死に追いつきながら、諾子は気になることを色々と質問することにした。 「え……? まず、あんた。藤原グループで働いていたの? まだ、大学生なのに?」 「あぁ、俺は『修理職(しゅりしき)』という部署で働いている。建築業に携わる部門だな。藤原は様々な人材を集めていて、能力さえあれば高校生から働くことが出来る。条件が良いから学業との兼ね合いも問題ないしな。別に大学生の正社員なんて藤原じゃ全然、珍しくもない。高校生の正社員も居るし……。俺より一つ年下だが、管理職を任されている女子大生なんてのも居る。流石に労働基準法は無視できないから、中学生以下の人材はそこまで働けないけどな」  絶句した。自分の知り合いが既に大企業で働いているということにも驚いたが、年齢に関係なく正社員として働けたり、優秀であれば大学生で管理職を任される人も居るとは……。 「他の企業とは全然、人材に対する価値基準が違うからな。縁故採用なんかも結構、多いし。学歴フィルターも他の企業とは全然違う基準らしい。役職から何から何まで他の企業とは(ことごと)く違っているからな。単純に高学歴ってだけで採用されたり、抜擢されたりなんてことは殆どない。まぁ、最近は何処の企業も学歴だけで判断する傾向は少なくなっているが……」  途端に諾子の胸に不安がどっと押し寄せてきた。額から脂汗が滲む。 「じゃあ、私に何か面接のアドバイスとか……出来ないの?」  その質問に則光はきっぱりと答えた。 「出来ん! 念の為に言っておくが『就活生必見! 面接合格の為のメソッド』みたいな本を丸暗記してきたとしたら、そんなもんは今すぐ忘れろ。先程も言ったが藤原(ウチ)の評価基準は他の企業と全く違うから、そんなモンは当てにならん」  ギクッとした。まさに諾子の鞄の中に、今、則光が口にした言葉と全く同じ題名(タイトル)の本が入っていたのだから……。  慌てて取り繕おうとしたが、その時、諾子は忘れていた。先程まで、自分が居たのは南広場。則光は、そこから南遊歩道を通って南北自由通路の方へ向かおうとしている。そろそろ、下りの階段に差し掛かる筈……。 「うわっ……ぎゃあああああ!」  そこに階段があることを忘れ、足を出してしまった為に足は空を切り、盛大に前方へと倒れる。倒れた先に床は無く、下りへの階段が続いている道だけだ。 「諾子!……ちっ。仕方ない。あまり、任務以外では使うなと言われていたのだがな……」  則光は右腕のコートの袖をたくし上げた。そこには大きめの黒いタブレット端末のような物がベルトで右腕に巻かれていた。その端末に向かって、彼は静かに唱えた。 「異能草紙、起動」  途端にタブレット端末が発光する。端末を起点として則光の右腕に何やら青色に光る線が刻まれていく。その発光する線は電子回路のような幾何学的な模様を描く。そして、その機械は無機質な何の感情も無い電子音声を響かせる。 「使用者(ユーザー)認証確認。人工知能接続完了。異能草紙『宇治拾遺物語』巻11-8。起動します」  その音声の直後。  ガシッ 「大丈夫か。まったく、ぼんやりしているからだ」  諾子は則光に首根っこを掴まれていた。引っ張り上げられ、ゆっくりと床に降ろしてもらう。いくら、女性とはいえ、人一人を片手で掴んで持ち上げるなんて芸当は誰にでも出来ることではない。 「……そっか、これが異能草紙なんだね」  諾子は則光の右腕の機械をじっくりと眺めた。
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