家業はブリキ屋

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家業はブリキ屋

実家はブリキ屋(板金屋)でした。 2階建ての1階部分の半分くらいが「細工場(さいくば)」と呼ばれる作業場。 残りのスペースで家族が生活していました。 父が仕事をとってきて、何人かの職人さんと一緒にトタン板を使って加工をしていました。 トタン屋根の仕事や、学校のダルマストーブ(燃料は石炭)の煙突なども作っていました。 細工場には、様々な工具や半田鏝(はんだごて)がありました。 半田付けの際は、七輪に炭を起こして鏝を熱して半田を溶かしていました。 汚れ落としのためか、「塩酸」も使っていました。 釘や金槌、大きな鋏など、危険なものがいっぱいの細工場に、私たち子供が立ち入ることもありましたが、幸い大きな怪我はありませんでした。 やがて、父が別の場所に工場(こうば)兼住宅を建てて、大きな「折り曲げ機」などの機械も導入しました。 当時は車の部品や、看板の枠などの注文を受けて生産していました。 いつもトタン板を切断する機械の音や振動、機械油の臭いに溢れていました。 小さな町工場。 昼休みには、「ジリリリリーー」とベルを鳴らして工場の職人さんたちに知らせていました。 私が工場に居る時には、「ほら、押せ」とベルのスイッチを押させてもらったのを覚えています。
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