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開かない扉
体育の授業が終わり、体育係の2人の男子生徒と女子生徒はボールの入った籠を倉庫へしまっていた。
1人は棚道という男子生徒。友達もそこそこいて、目立たないタイプの部類には入らない。かと言って目立つタイプでもない。
彼の最近の悩みは、頭皮に汗疹ができてしまったこと。頭を掻く回数が増え、髪はボサボサ。整えても痒いのには敵わず、また掻いてボサボサに。
そしてもう1人、獅子宮という女子生徒。名前からして威圧的なのだが、彼女は非常におっとりした性格をしている。おっとりしすぎて、お昼ご飯を食べるスピードがかなり遅く、いつもチャイムが鳴る寸前まで食事中である。
そんな2人。体育係ということ以外の接点は一切ない。だから片付け中でも会話はない。
静かなまま片付け終え、獅子宮は体育倉庫の扉を開ける。
「あれ? んん〜、ん〜」
しかし、扉が開かない。外履きで踏ん張るも、微動すらしない。両手で持って体重をかけるも、扉が開く気配はなく、獅子宮は少し息を切らした。
「開かないよ?」
「貸して、俺がやってみる」
次は棚道が獅子宮と入れ替えに扉の取っ手を握った。グッ、グッ、と力一杯に引くも、やはり動かない。体育倉庫の扉は引き戸となっており、滑車が外れている可能性が考えられた。
「ホントだ、全然動かない」
「だよね。建て付け悪いのかな? どうしよう、閉じ込められちゃったけど……」
辺りを見回す獅子宮。扉以外に出口はない。換気用の小さな窓はあるが、人が通れるような幅はない。通れるとしても精々ネズミ程度。
棚道はびくともしない扉から離れた。何度も力んだせいで、顔が真っ赤。
「まあ、運動部が使うだろうから、そのうち開くよ」
体育の授業は六時間目。このあと下校があり、部活組は部活動をする時間帯へ移行する。それがあるから棚道は扉を開けるのをさっさと諦め、跳び箱の上に飛び乗った。
そんな棚道を、獅子宮は首を傾げて見つめた。
「え? 今日部活ないよ」
「え? ええ!」
棚道は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。曜日感覚があまりなく、一度だけ日曜日にも関わらず土曜日だと勘違いして、翌日の学校を無断で欠席したことがあるほど。
「そうだったっけ……」
「だって今日は木曜日だよ。寄り道するなって先生も言ってたし」
「まじか……まあでも、鍵がかかってるわけじゃないし、開けられるはず」
跳び箱から飛び降り、棚道はもう一度扉の取っ手を握った。その後ろで獅子宮は言う。
「頑張って、私じゃどうにもならないから」
獅子宮に応援されるも、扉が開くことはなかった。石像のように固まった扉を、何度も何度も頭に血を登らせながら引っ張るが、歯が立たない。
「やっぱびくともしない」
「そんなぁ〜、お弁当食べようと思ってたのにぃ……」
獅子宮はわかりやすく肩を落としす。新品の体操マットの上にちょこんと小さく体育座りした。
そんな彼女に棚道は言う。
「まだ食べてなかったの? いっつも遅いよね」
「それ、友達にも言われた」
「どうしてそんなに遅いの?」
「どうしてかな? 逆になんでそんなに早いの?」
獅子宮は一度首を傾げ、棚道にそう訊いた。質問を質問で返されるとは思っておらず、棚道は瞳を上に考えた。
「……あまり噛んでないから?」
「私お母さんから三十回以上噛むように言われてるよ。噛まずに飲み込んだら怒られちゃう」
「厳しいくない?」
「そうかな? 優しいよ。怒ったら鬼みたいになるから怖いけど」
えへへ、と穏やかに笑う。少し埃っぽい倉庫内にお花が咲いたみたいだ。
口には出さないが、棚道は獅子宮のことが好きだ。体育係になったのも、獅子宮が立候補したから。けれどこうして話をするのは初めてで、内心ドキドキが止まらない。
「獅子宮さんって怒られることあるんだ」
「あるある。たま〜にだけどね」
「何して怒られるの?」
「ええ、そんなの恥ずかしくて言えないよ〜」
体育座りしたまま、メトロノームのように緩やかに揺れる。
「教えてよ」
「ええ、そうだな〜、お風呂が長くて、それで……でも、お風呂気持ちよくない? ついのぼせるまで入っちゃって、一回だけ溺れかけたんだよね」
そう言って獅子宮は、無邪気さを全面にはにかんだ。
そのお陰で、倉庫内に閉じ込められているとは思えなほどのほんわかした雰囲気が広がった。
「の、のぼせるまで入ったことないな。いっつも十分も経たないうちに出るから」
「早くない? ちゃんと体洗えてるの?」
「洗えてるよきっと。丁寧に洗ってるつもり。俺は湯船に浸からない分早いんだと思う」
「え〜、浸かるのが気持ちいいんじゃん。私、浸かりながらずっとスマホでゲームしてるよ」
言って、スマホを操作する動きを見せる獅子宮。
「ゲームするんだ……意外」
「意外と言われても、私だってするよ。弟にしょっちゅうゲーム付き合わされてから好きになったの」
「弟さんいるの? いくつ?」
「十四。中二だね。思春期真っ最中かな〜。ゲームやらなかったらすぐ機嫌悪くなるけど、ゲームしてる時はすっごく楽しそう」
少し苦い顔をするも、直ぐにニマッと笑った。
獅子宮はいつもこうして笑う。笑顔の絶やさない女の子。そこに棚道は惹かれたのだ。気がつけば目で追って、彼女の笑顔を探していた。
「そうなんだ」
「いないの?」
「え?」
「弟とかきょうだいだよ」
獅子宮の笑顔に見惚れていたため、何を言われたのか理解できなかった。
──隣に座りたい。
今、棚道は開かずの扉の前に立っている。
体操マットに体育座りした獅子宮の隣。別に座ったところで何もないのに、変に意識してしまう。
もし、あそこに座っているのが友達ならどれほど気軽に、そして自然に座れることか。
「姉が一人……」
「どんなお姉さん?」
「どんな? う〜ん……優しい、かなぁ」
棚道は歯切れ悪くそう言った。
姉はよくお節介をかける。
休みの日なんかは特に。
必ず朝八時には起こされ、食べる気分でもないのに朝食を食べさせられ、頼んでもないのに勉強を教え始める。
その愚痴を友達に話した時、友達から決まってこう言われる。
『贅沢な悩みだ』
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