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覚醒
二度目の覚醒は突然訪れる。開いた瞼から見える視界は明瞭、感覚は鋭敏で思考に曇りがなかった。自身の状況をまず確認する。水晶のような透明度のある結晶の殻にうずくまるような姿勢で閉じ込められていると推察できた。しかし苦しさはない。差し迫って生命の危機は感じず、安心感さえあった。
それでも理解不能な現状に呼吸は浅く早まりそうになる。無理矢理大きく息を整えながら格段に良く見えるようになった視界で水晶の内側から外を観察した。
黄色がかった光を発する水晶が照明のようにいくつか壁に配置されている。その光が岩肌を持った壁、天井を照らし、屋内か地下のように見えた。床には自身を中心にして放射状に模様が刻まれており、文字のように見える。しかしユウトはそれを読み取ることはできなかった。
眼球を動かし、見渡すことができる範囲を観察する。これからどうしようかと考えだしたとき、音が響いてきた。何かの叫び声、雄叫びのようでもあり断末魔の叫びのようでもある。はじめは小さく遠かったがしだいに音は近づき、音量とともに数を増していった。さらに金属がかん高くぶつかり合う音、空を切る風切り音に地面を蹴って走るような激しい足音が重なる。そしてその音の発生源はだんだんとその音量を増し続けた。
ユウトの緊張もそれに呼応するように増していく。いやでも鼓動の高まりを感じさせらた。
いよいよと思ったその時、突然の静寂が訪れ、ユウトは息を呑む。不安は去ったのかと思った瞬間、猛烈な勢いで視界の中に大きな塊が横切った。その塊はその部屋にあった様々なものをまき散らし暴れまわる。そして二つに分かれると、互いに距離を取って制止した。
どちらも人のように見える。片方は鈍い光沢をもった鎧と兜を身に着けていた。片手には盾、もう一方には剣を持ち、対峙した相手へ威嚇するように突き出して構える。その切っ先は赤く血塗られ、ぽたりと雫を落とした。
剣を突き付けられた方は獣のようにかがみ込んで鋭い眼光で睨みをきかせている。緑の肌、大きな鼻、ギラリとした縦に割れた瞳は一度覚醒して最後にみた異形の人、ゴブリンのようだった。しかしその全体像は想像以上に大きい。放たれている気迫はゴブリンに対して抱いている雑魚という印象からかけ離れた威圧感があった。
張り詰めた空気の中、二人はジリジリと間合いを詰める。どちらも息を切らし、疲労が見えるが、より深刻そうなのはゴブリンのようだった。足元には血だまりが現れ、少しづつ広がっている。ユウトには鎧の男の方が優勢のように思えた。
高まる緊張の静寂の中、劣勢に見えるゴブリンがついに動く。全身を覆った毛皮から何かを鎧の男へ投げつける。そして次の瞬間には閃光が走った。目くらましか、とユウトは思ったがそれにしては光が弱い。だがその光を合図としたように部屋の隅から影が複数現れ、鎧の人物へ襲い掛かった。
その襲い掛かる影もよく見るとゴブリンであることがわかる。それは小さな人型で、その姿はユウトの持っているゴブリンそのものという印象だった。小柄な体格のゴブリン三体はそれぞれ手に持った短剣を鎧の男へ向け振り下ろし、刺し、突こうとしている。ほぼ完璧に思える三匹のゴブリンの奇襲に思えた。
しかし鎧の男は冷静に対処する。一匹をかわし、一匹は腕の丸く小さい盾で受け流し、最後の一匹の首を剣ではねた。それから動きを止めずに二匹目、三匹目と順に処理してしまう。無駄の無い動きは滑らかに一息で完了し、一瞬の出来事で終わってしまった。
だがそれでも一瞬の隙が生まれてしまう。閃光、奇襲の連続で鎧の男に動きが止まる間ができた。
その間に合わせたように強烈な閃光の塊が鎧の男へと激突する。
その閃光の塊はあの大きなゴブリンから放たれた何かで、傍観者のユウトにはそれが何かわからなかった。
鎧の男の身体はがくんと大きくよろめき、後ずさって壁に背中をあずける。ついには膝をつきうずくまって肩で大きく息をしていた。ただ、それでも戦意は失われることはなく、剣先と目線はゴブリンの方へと向けている。ほんの数秒の間に状況は逆転してしまった。
ユウトは焦る。このまま鎧の男が倒れてしまったなら自身がどうなってしまうのかと、不安が膨れ上がった。拷問、人体実験、人であるはずのユウトがゴブリンのような怪物に丁重に扱われるはずがないという嫌な想像が膨らむ。その想像でユウトは全身が熱くなる気がした。
恐怖がユウトを突き動かす。すがるように、がむしゃらに身体へ力を込めさせた。ここから出なければいけない、ここから出たいと強く願って身を包む結晶へ圧力をかける。次第に雑念が取り払われ、力が欲しいという純粋な思いだけが強く頭の中で繰り返された。
すると一瞬、何かが身体の中へ流れ込んでくる感覚。身体が溶けるのではないかと錯覚するほどの熱を体の内側から感じた。その瞬間、ユウトを覆っていた結晶がはじける。そして矢のようにゴブリンへ向け駆け出した。
その行動に深い考えはなにもない。無謀に、ただ敵であると認識したゴブリンへの恐怖を吐き出すように全力で迫った。
ゴブリンとの距離は一息に縮まり、ユウトはゴブリンへ突進を仕掛ける。この状況を考慮していなかったのかゴブリンは側面からユウトの強烈な突進の衝撃によろめいた。
その隙を見逃さずユウトは背後からゴブリンを羽交い絞めにしてしまう。ゴブリンは明らかな焦りを見せ、ユウトを振りほどこうともがくがその抵抗をものともせずユウトは全力でゴブリンを締め上げた。
そして一瞬、鎧の男へ視線を向けると同時に叫ぶ。
「今だッ!」
伝わったどうかはユウトにはわからなかった。だが鎧の男は動く。先ほどまでのダメージを感じさせない素早い動きで脚を踏み出し間合いを詰めた。
必死にしがみつくユウトは肌がひりつくのを自覚する。それは迫りくる鎧の男から感じる明確で強烈な殺意だと感じた。これまでの生涯で一度も感じたことのない刺すような空気がユウトの身体をこわばらる。ゴブリンはより強く締め上げられた。
そして走る横一線の光の筋。
ユウトにはそう見えた。鎧の男の振るった剣の刃が光を反射しきらめいた光が弧を描いてゴブリンの首をなぐ。そして一瞬の間をおいて、ゴブリンの首が宙にまった。
頭をなくした首から液体が脈打ち吹き出してそのまま身体が床へ崩れ落ちる。ユウトは抵抗感がなくなったことでしがみついていた生き物がただのモノに変わったことがわかった。
ユウトはなんともいえない恐怖を感じ、あたふたと腰を下ろしたまま後ずさって距離を取り、座り込む。ユウトの身体はいまだにこわばっていた。
初めて見た殺し合いと初めてそれに加担した事実に動揺する。だがそれだけではなかった。いまだに続く肌のひりつきを感じている。鎧の男が構えを解かなかった。慎重に、明確な殺意を発してユウトにゆっくりと迫ってくる。ほんの少し前に生き物の首をはねた刃物がユウトのの眼前に据えられると鎧の男は押し殺すような声を発した。
「オマエは〝ゴブリン〟か?」
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