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今までなら裏返っていた高い音も、淀みなく出せる。喉にぴとりと触る。細い首だった。あの喉仏はどこへ行っちゃったんだろう。
「鏡、鏡ってありますか」
「この手鏡を差し上げますよ」
看護師が言うより先に、僕はベッドから降りた。目の高さが頭一つ分、低くなっている。
冷たい床をまっさらな足でぺたぺた駈ける。医師たちがどよめき、道をあけた。「もうしばらく安静にしないと」と呼び止める声もあった。黒い長い髪がずるずると僕を這って追った。
突然、目の前が白く輝いてぐるぐる動いた。ふらりとよろめく。それを大きな手が支える。
「落ち着いて下さい。まだ、脳が新しい躰に慣れていないんです。急がなくても鏡は逃げませんよ」
低く優しい声とともに手鏡を握らされる。目の前の靄がだんだんと晴れるのを、僕はドキドキしながら待った。
重い手鏡の中に人影が見えた。長い髪を垂らしている。暑さのためか、頰はほんのりと赤い。白い肌にはにきび一つなかった。長い睫毛をぱちぱちと動かし、黒目がちの目で僕を見つめ返してくる。高校生くらいの見た目の、痩せ気味の少女がそこにいた。
「わーい!」
僕は手鏡を抱えてふわりと跳ねた。
「僕、女の子になったんだ! 女の子になれちゃったんだ!」
飛んで踊ってひとしきり喜ぶと、僕はその場にへなへなと坐り込んだ。すかさず新宮医師が膝まづく。
「どうされましたか。ベッドへ戻りましょうか」
「……か」
「はい?」
僕は手鏡を抱きしめたまま、うつろな瞳で言った。
「おなか、お腹が空きました」
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