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彼が出ていったあと、私もすぐにロビーに向かった。
あの男の子に教えてもらったおかげで、迷うことなくまっすぐ辿り着けた。
中央には、本物の木を使った大きなクリスマスツリー。
これが、あの子の言っていた願い事を叶えてくれるツリーだ。
私は宿泊客や待ち合わせの人で賑わう中、そのツリーに吸い寄せられるように前に進んでいった。
キラキラとオーナメントが輝いて、でも豪華だけど派手過ぎない、ノーブルな面影のあるツリーは、シャリアピンステーキと並んでママの大のお気に入りだった。
私も物心ついたクリスマスの思い出には必ずこのツリーが登場してきて、付き合いは長い方だ。
にもかかわらず、願い事が叶うなんてジンクスはママからも聞いたことがなかった。
不思議だけど、あの男の子が嘘を言ってるようにも思えなかったし、彼とも約束したし、私はツリーのてっぺんを見上げて、胸の前で指を組んだ。
あの男の人の音楽活動が、来年も、その先も、ずっとずっと上手くいきますように………
そっと目を閉じそう願っていると耳が敏感になり、近くの若い女性の会話が耳に入ってきた。
「あ、この人知ってる。話題になってた人だよね?ディナーショーなんてやってたんだ」
「めちゃくちゃいい声の人でしょ?動画見たことあるもん。あの声なら、テレビとかライブじゃなくてディナーショーでしっとり聴きたいのはわかるわ」
「でも顔出ししないでどうやってディナーショーするんだろうね?」
「さあ?スクリーンとかで仕切りして、シルエット映し出すんじゃない?この人の動画でそうしてるの見たことあるもん」
「ああなるほど。でもさ、せっかくイケメンなのにもったいないよね」
「え?顔知ってるの?」
「噂になってたじゃん。解散したアイドルグループの元ダンサーだよ」
「へえ……でもそれはどうでもいいや。この人、とにかく声が良いから。いくらイケメンでもあの声に合わないチャラい系とかだったら引きそうだし顔は知らないままの方がいいわ。それより、そろそろ予約の時間じゃない?」
「本当だ。行こっか」
ぽんぽんラリーが続いていた声が遠のくと、今度は私の背後からスッと話しかけられた。
「一般の方のご意見は、なかなか厳しくも的確な場合がありますね」
「――――えっ?」
反射的にに振り返ると、さっきのマネージャーさんがタブレット片手に立っていた。
「先ほどはどうも。バタバタしてご挨拶もできませんで失礼しました」
「あ、いえ、こちらこそ……」
さっきのことで何か言われるんじゃないかと、思わず身構えてしまう。
けれどマネージャーさんは「ああ、そんなに警戒しないで大丈夫ですよ。あいつとの関係なんて聞いたりしませんから」と笑った。
「はあ……」
スーツを着こなす若い男性と制服姿の私、周りから見たらやっぱり結婚式帰りかクリスマス関係の参加者に見えるのだろうか。
「実はあなたにお礼が言いたくて」
「お礼、ですか?」
心当たりがなさ過ぎてオウム返しで尋ねると、マネージャーさんはツリーのそばにある催し案内のデジタルサイネージを見やった。
そこにはさっきの彼と思しき横顔のシルエットが映し出されていた。
もちろんシルエットだから顔はわからない。
今おしゃべりしていた女性達はこれを見て話していたんだろう。
「あいつ、この先の活動にちょっと悩んでいたみたいなので………。さっきも一人になりたいと言ってあそこに籠っていたんです」
「そうだったんですか……」
だったらお邪魔してしまって申し訳なかったな。
心の中で詫びたけれど、そんな私にマネージャーさんは意外なことを言った。
「でもあなたと会ってからちょっと心境に変化があったようです。アンコール曲も増やしたいと言って、今現場スタッフと打ち合わせしてますよ。どうやら迷いが吹っ切れたようです。あなたがどなたで、あいつと何があったのかは知りませんが、ありがとうございました」
「そんな、私の方こそ……」
「それで一応、俺の連絡先をお渡ししておこうかと思いまして……」
マネージャーさんがジャケットの内ポケットから名刺を取り出し私に手渡そうとしたときだった。
「うちの娘に何かご用ですか?」
尖った詰問とともに、私の前に義母がさっと現れたのだ。
そしてもう一度言った。
「うちの娘に、何か?」
はっきりと、私のことを娘と、そう呼んだ。
義母にそう呼ばれたのは、はじめてだった。
なんだか慣れなくてくすぐったいけど、悪い感じではなかった。
むしろ………
私には悪印象ではなくとも、警戒全開の義母に、マネージャーさんは慌てて
「いえ、実はお嬢さんがこの電子ポスターを眺めてらっしゃったので、声をかけさせていただいたんです。このアーティストのマネージャーをやらせていただいてますので」
嘘ではないものの曖昧に濁した事情を説明し、義母に名刺を差し出した。
義母は「まあ、そうだったんですか?失礼な態度を取ってしまって申し訳ありません」と恐縮しながら受け取る。
「いえ、お母様なら心配されて当然ですよ。それでは、これで。素敵なクリスマスをお過ごしください」
「ご丁寧にどうも」
「あ、あの!」
大人どうしの挨拶で終了してしまいそうで、私は急いでマネージャーさんを呼び止めた。
「あの、私、頑張りますから!………って、伝えてもらえますか?」
尻すぼみになってしまうのは、ちょっと声が大き過ぎて人目を引いてしまったせいだ。
けれどマネージャーさんはにっこり顔で「わかりました」と了承してくれたのだった。
マネージャーさんを見送ったと、義母は「ところでどこに行ってたの?」と私に向き直った。いつものフランクなしゃべり方だ。
「さっきここに来たら見当たらなくて、レストランと二往復しちゃったわ」
「ごめんなさい、ちょっと道に迷っちゃってて……」
余計な心配かけたくなくて、正直に打ち明ける。
「そうだったの?このホテルには子供の頃から毎年来てるからすっかり慣れてるって聞いてたけど……」
「うん。ちょっとぼーっとしてたみたい」
「そう……。それにしても、このツリー、本当に立派で素敵よね」
義母がツリーを見上げて、私も一緒に顔を上げる。
「でしょ?私とママのお気に入りなの」
胸を張って、そう伝えた。
すると義母がとなりで目を細めるのがわかった。
「そう。大切な思い出を教えてくれてありがとう」
「どういたしまして」
私もお返しに微笑んでみせる。
そして笑顔のまま義母に言った。
「あ、ねえ、今度話したいことがあるんだけど、いい?」
「もちろんよ。なんでも聞かせて?」
義母の即答が、嬉しい。
そうやって二人で笑い合っていると、遠くからパパが私達を呼んだ。
「じゃあ行きましょうか」
「うん」
頷いてから、私は今年最後のツリーに別れを告げるようにもう一度振り仰いだ。
すると、
――――――またね。
かすかに、ママの声が聞こえた気がした。
え?っと思う間もなくクリスマス風景の中に溶けて消えてしまったけど、確かにママだったような………
でもママの声が聞こえても不思議はないのかな。
だってママはいつも見守ってくれているんだろうし。
今日だって、きっとお気に入りのこのホテルに来て………ああ、そうか、もしかしたら、私を彼に会わせたのはママだったのかもしれない。
だって、やっぱり私がホテル内で迷うなんて考えられないもの。
ママのせいにした方がよっぽど納得できる。
私はツリーを見上げたまま、こっそりと言葉にせずに「ありがとう」と言った。
そして、ツリーと、ツリー越しに映る彼のシルエットに向かって。
「またね。」
またね。(完)
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