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「大切な人に謝りたい」
「過去を清算したいんだ。」
椅子に座ったままシワだらけの手を組み、老人は話し始めた。
「具体的には、どういった清算でしょう。」
時が凍ったようなしばらくの沈黙の後、男性はほっと息をついた。
「・・・別れた妻と 娘に謝りたい。」
情けないがね・・・と、老人は寂しく笑った。
「分かりました。」
私は老人に手を伸ばし、「握って下さい」と言った。
老人は、一瞬何が起きているのか分からないような目をした。
「お2人のところへお連れします。一瞬です。」
「・・・よろしく頼むよ。」
ゴツゴツとした感触を確かめ、私は老人と共に消えた。
「着きましたよ。」
老人は、目をゆっくりと開けた。
「・・・あぁ・・・懐かしい・・・」
こじんまりとした部屋は、白やモノトーンなど落ち着いた色彩で統一され、隅々まで清潔に保たれていた。
「妻は・・・白が好きだったんだ。娘もそれに似たのかもしれない。」
「和室にいらっしゃいます。」
私が感情のない声で誘導すると、老人は震える手でふすまを開けた。
初老の女性と、美しい黒髪の女性が、何かの準備をしているのか、タンスを漁り、ダンボールに洋服などを詰め込んでいた。
「・・・あぁ・・・祐子・・・梓・・・」
老人は、背後から声をかけた。
「・・・何か聞こえなかった?」
女性が、母親らしき女性に問いかける。
「何かって・・・?」
「さっき 名前を呼ばれた気が・・・」
「そんなわけ・・・」
振り向いた母親は、一瞬顔を強張らせた。
「・・・あなた・・・」
「え・・・お父さん・・・?」
「・・・すまない・・・」
老人は、前振り無く頭を下げた。
「・・・何よ 今更・・・」
「俺は・・・お前たちを大事にしてやれなかった。仕事ばかりで、家のことは全部任せきりで・・・悪いことをした・・・反省している・・・。」
「反省してるですって!?」
母親の怒号は、地が震える勢いだった。
「私が今までどれだけ苦労したと思ってるのよ!?母子家庭ってだけで周りから哀れな目で見られてっ・・・梓もいじめられて・・・それを今になって・・・何様のつもりよ!」
「・・・すまない・・・本当にすまない・・・」
老人は、頭を下げたまま、ただただそう呟いていた。
「・・・お母さん もうやめて。」
凛とした声が、静かに響いた。
「・・・梓・・・」
娘の声に、母親の興奮が収まっていく。
「お父さん。私ね、お父さんのこと嫌いだった。なかなか家に帰ってこないし、帰ってきてもすぐ寝ちゃうし、私達のこと、嫌いなのかなって。・・・だけど大人になって気付いた。お父さんは、単に働いてたわけじゃない。私達のために働いてくれていたんだって・・・。お母さんも、ずっと言ってた。」
「・・・・・・。」
母親は、黙っている。
「お金を稼ぐのって、すごく大変で・・・しかも、自分のためだけじゃなくて、誰かのために稼ぐようになって、お父さんもお母さんも、きっと色々なことに悩んでたんだなって、思うようになった。家族を守るために仕事をすることが、お父さんにとっての愛情だったんだなって。」
「・・・私達は・・・ただ・・・素直になれなかったのよ・・・お互いに・・・」
母親も、絞り出すような声で言った。
「・・・せっかく逢えたのに・・・謝罪だけだなんて・・・」
「・・・祐子・・・梓っ・・・」
老人は、体を震わせながら2人を抱きしめた。
「逢いたかった・・・本当に・・・逢いたかった・・・」
「あなた・・・」
「お父さん・・・!!」
離れた溝を少しずつ縮めるように、お互いがお互いを呼び合っていた。
その空間から一歩離れた場所で、私は傍観して時間を潰した。
「・・・夢だと思っているだろうか。」
「そうでしょうね。」
私は、帰り支度を済ませた。
「・・・俺のことは・・・忘れてもらって構わない。2人が 幸せなら・・・」
老人は、最初の頃のように椅子に腰掛けると、私に深々と頭を下げた。
「・・・ありがとう」
私は、振り返ること無く彼の家を後にした。
彼の一生のお願いは 後悔と安堵が入り混じった願いだった。
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