働かざる者食うべからず、の教え

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****    慣れとは恐ろしいもので、一週間もすると陸は、すっかりこちらの生活に馴染んでいた。  早朝に起きて畑仕事、朝食を済まして勉強をして、昼食と仮眠。目が覚めたらまた勉強したり本を読んだりして、夕方には千代の作業の手伝いをする。それからソラと一緒に散歩をして、夕飯を食べて、ダラダラして寝る。  まさに晴耕雨読、という生活は、陸のささくれ立った心を少しずつ穏やかにしていった。  誰かの言葉や視線、雰囲気や笑い声、ひそひそとささやくような声。今まで当たり前のように陸を取り囲んでいたものが、ここにはない。それはとても気楽で心地よかった。「自然に囲まれて暮らしたら、多少は毒気が抜けるんじゃない?」という由梨子の言葉も、まんざら嘘じゃなかったんだな、なんて思ったりした。  しかし一方でそれは、売られたケンカをひたすらに買って誤魔化していた陸自身の心と向き合う時間が増える、ということでもあった。  時計を見上げると、夕方の農作業の時間だった。机に向かって凝り固まった体をほぐすように肩を回す。  とすとす、と足音がして、部屋の入り口を見れば千代が立っていた。 「今行くとこだったんだよ」  急かされる前に、と立ち上がった陸に、千代は予想外の言葉を放った。 「いや、あんたにはこれからやってほしいことがあるんだ」 「なんだよ、改まって」 「いいからついてきな」  歩き出した千代の後を追って庭に出ると、さらに裏に回った。  ここって……。  鬼沢家の裏には、山に入る小道がある。しかし、入り口には赤いロープが張られ、『私有地につき立入禁止』と書かれた看板がぶら下がっている。  陸が小さいころ、探検と称してこのロープをくぐろうとしたら、千代にこっぴどく叱られたことがある。そのあと、孝男と由梨子にも怒られた陸は「もう二度と山には入りません。近付きません」と泣きながら約束させられた。あれ以来、陸がこの山に近付いたことはない。  千代がロープを外すと、一瞬、山から温い風が吹いた気がした。 「この道をずっと登っていくと小さな小屋がある。そこに、これを置いてきておくれ」  千代が顎をしゃくった先には、野菜が満載の背負いカゴ。 「山に登れってこと? あれ背負って?」 「せいぜい三十分くらいのもんさ。若いんだから平気だろ」 「つーか、なんでそんなこと」 「うるさいねぇ。頼んでるんだから黙ってやりな」 「全然頼んでないだろ、それ」 「一つ言っておかなくちゃいけないことがある」  無視かよ、という陸の言葉を無視して千代が続ける。 「道沿いにはこれと同じ赤いロープが張ってある。それを逸れちゃいけない。それを越えてもいけない。必ずそれに沿って歩くこと。そして用が済んだらさっさと戻ってくる。それより先に進んじゃいけない。分かったね。じゃあ行ってきな」  そう言って、千代は家の中に入ってしまった。残されたのは陸とカゴに詰まった野菜たち。 「どういうことだよ。わけ分かんねー」  呟いてみても、答えてくれる相手はいない。仕方ない、とりあえずは言うとおりにするしかないみたいだ。  カゴを背負うと、陸の肩に紐がぎり、と食い込んだ。
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