落としものコレクション

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落としものコレクション

「あ、ぼうや、死体だよ。やっと見つけたよ」 「本当かい」 「ああ、本当さ。やっと見つけた死体だよ」  街からはなれた暗い森のなか、老婆が声をあげる。太陽はずいぶんかたむき、森へはわずかな光しか届かない。  老婆は大きなリュックを背負っていた。リュックのすきまから人形の顔がのぞいている。片目が取れるほどぼろぼろのそれは、子どもの人形であった。人形がしゃべるわけはないのだが、老婆には彼の声が聞こえているのだからしかたない。 「やったね、ぼうや。もうすこしでぼうやの体が戻ってくるよ」 「本当かい。ぼくはうれしいよ」 「ちょっと待ってね。この死体からぼうやに必要なものをもらうから」  老婆がリュックをおろし、なかから刃物を取りだす。それを死体にあてて、一部を切り取る。 「あまり多くとってはいけないよ」 「わかっているさ。でも、この死体はわたしが見つけたんだからね。落としものを見つけたひとには、それをすこしもらう権利があるんだ」 「よくわかっているじゃないか。ぼくはうれしいよ」 「当然さ。わたしはぼうやの母親なんだから」  老婆は死体から抜き取った肉片を、持ってきたケースに入れた。せっかくもらったものを腐らせてはもったいない。それがすむと、残った死体を放置して、街へと帰っていく。すぐに日が暮れて、夜がおとずれるだろう。  老婆がおさない子どもを亡くしたのは何十年も前のことだ。交通事故での死亡だが、ほとんど殺人のようなものだった。相手がちょっとでも注意していれば、子どもは死ななかった。この件以来、老婆は人生に対してふさぎ込むようになった。生前に子どもが大切にしていた人形を抱えて、一日中ぼーっとしている日がつづいた。老婆のなかで人形がしゃべりはじめたのはこのときからだ。 「ねえ、ぼくを生きかえらせてくれよ」  いきなり声がした。子どものいなくなった部屋には、だれもいないはずなのに。老婆が――もっともこのときはまだ若かったが――部屋を見回す。やはりだれもいない。息子を失った自宅は大きな穴が開いているみたいだった。さびしさのあまりまぼろしを聞いてしまったのかもしれない。老婆がふたたび人形に目を落とす。すると、こんどはその人形から声がした。 「聞こえているのかい、ママ」 「あなた、ぼうやなのかい」 「ああ、そうさ。ぼくは死んでしまったけどね。けど、安心してくれよ。ちゃんと生きかえる方法があるんだ」 「本当かい。わたしはなにをすればいいんだい」  老婆が人形を揺さぶる。うたがうとか、断るなんて選択肢はなかった。思えばこのとき聞こえた声は子どもの声ではなかったのかもしれない。悪魔か悪霊か。でも、そんなことは関係なかった。息子がよみがえりさえすれば、ほかのことはどうなってもかまわない。 「物置の奥に古い本があるはずさ。それを探してくれないか」 「ああ、わかったよ。すぐに探すさ」  老婆が人形を持って立ちあがる。その眼にはしっかりと光がともっていた。息子をなくして人生の目標を見失っていたところに、はじめて明確な目的ができたのだ。一直線に物置へと向かう。 「物置はここだよ」 「ずいぶんぼろぼろの物置だ。なかを見せてくれよ」 「いま開けるからね」  老婆がさびついたとびらを力任せに引く。金属の擦れる不快な音がした。なかは暗く、湿っぽい。ひさしぶりに解放されたとびらから、ほこりが外の世界へ舞いあがる。かび臭いにおいが鼻をつくが、老婆はそんなささいなことを気にも留めない。 「なにを探せばいいんだい」 「本だよ、本。どこかにあるだろう。大きくて分厚い本だから、すぐに見つかるはずさ」 「ちょっと待っていてくれ。すぐに見つけるから」  老婆は人形を抱えながら、物置を探った。目的のもの以外は乱暴に倒したり、ほうり投げたりしたので、ほこりが煙幕のように立ちのぼる。その煙をかきわけて奥のほうへ手を伸ばすと、一冊の本がそこに置かれていた。  思いっきり片手を伸ばす。もう片方の手はしっかりと人形を抱いていた。指先を本のはしにひっかけ、引きずりだすようにして手の届くところまで持ってくる。やっとのことで本を手に取ることに成功した。手に入れた本はずっしりと重い。 「これかい、探していたのは」 「ああ、それさ。とっておきの本だ」  人形が意地悪く笑ったのに、老婆は気づかない。老婆は本の表紙を眺めていた。見たこともない文字が並んでいる。長いあいだ眠っていたのか、なんとも言えぬ古臭いにおいがした。 「さっそく読んでみてくれよ。いい本だからさ」 「わかったよ。でも、外国の本みたいだよ。わたしに読めるかしら」 「大丈夫さ。ぼくが読んであげるから」  人形の言うことに従って、本と人形を両脇に抱えて自宅へ戻る。老婆は持ってきたその本を床に置いた。 「どこを読めばいいんだい」 「どこでもいいさ。とりあえずページを開けばそれでいいさ」 「ふしぎなことを言うものだね。そういえば、どこで生きかえる方法なんて知ったんだい、ぼうや」 「どこでもいいじゃないか。一回死んでしまうと、普通のひとにはわからないことがわかるものなんだよ」 「そうなのかい」  老婆はとくに気にしなかった。心の空白を埋めてくれるなら悪魔でもかまわない。人形を自分の前に置き、分厚い本のページをめくった。本のなかには、やはり読めない文字とともに、人体のスケッチのようなものが載っている。 「なんだい、これは」 「ぼくが生きかえるための方法さ」 「はあ、なんて書いてあるのか、さっぱりだね」 「そりゃそうだろうね。でも、大丈夫さ。ぼくが簡単に説明してあげるよ。人間の死体を集めるんだ」 「死体をかい」  さすがの老婆もこの単語にはおどろいた。なにか物騒なことがはじまりそうな予感がひしひしと伝わってくる。 「この程度でおどろいていてはいけないよ。死んだ人間を復活させるんだ。まともな手法じゃできないよ」 「そうね。言われてみれば、そうなのね」  老婆がすぐに納得する。空白の人生に新しい常識がしみこむのははやい。 「いいかい」人形がゆっくりとしゃべる。「死体を見つけてその一部をもらい受けるんだ。けっして丸々もらってはいけないよ」 「どうしてだい」 「犯罪だからだよ。死んだ人間を生きかえらせるのには、むずかしい決まりがあるのさ。あくまで手順どおりにやらないといけないよ」 「そうかい。わかったよ」 「死体を集めてひとりぶんの体を作るんだよ。そうすれば魂が帰ってこられるからね。時間がかかると思うけど、がんばるんだよ。ぼくはいつまでも待っているからね」  そう言った途端、床に置かれていた人形がぐったりと倒れた。急いで老婆が抱きかかえる。 「どうしたんだい。なにかあったのかい」 「平気さ。説明するのに、多少力を使っただけだよ」 「休んでいたほうがいいんじゃないのかい」 「ああ、そうだね。そうさせてもらうよ。だけど、待っているよ。ぼくはすこし眠るよ」  こう言い残すと、人形はぱたりと横になった。あわてた老婆が人形に耳を近づける。安らかな寝息が聞こえた。それからの老婆の決断ははやかった。死体収集に必要なものを買いそろえ、すぐに家を飛びだす。子どもが生きかえるのなら、はやいほうがいい。それに、ほかにやることもないのだ。
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