君を愛す嘘吐

2/4
前へ
/8ページ
次へ
私のことだ、と思う。 ユキ君の言う幽霊は、私のことだと。 「どうやら本当に参っているみたいだな」 冷たい視線をユキ君に送りながら、アメミヤさんが言う。でも、違う、そんなことはない。そうやって、声に出して主張したくなる。 確かにユキ君を狙っている幽霊が、ここにいるのだと。 「ただの冗談だろ、そんなに気にするなよ」 ユキ君はそうやって優雅な笑顔で誤魔化すけれど、本当は違うんだということを、私だけが知っている。ユキ君は本当に、自分に幽霊が憑いているんじゃないかと疑っているのだ。四六時中ユキ君を見ている私が言うのだから、間違いはない――「怨霊」と口にすることだって、ユキ君は今週、四度目だ。 幽霊という存在について、私が知っていることは少ない。それでも、幽霊の姿は生身の人間には滅多に見られないのだということを、私は確信している。実際、私が生きている人に見られたことは、ただの一度しかない、と思う。 それなのに、私がずっと側にいることに、ユキ君はなんとなく気づいている。気づいてくれている。それが私にとっては、たまらなく嬉しい。 「なぁ、雨宮。俺の身にもなってみろよ。自分が参加した途端、女性陣が揃ってダウンなんてさ、まるで俺が毒物みたいじゃないか。幽霊の方がましだって、そう思うのも仕方がないだろ?」 ユキ君がことさらに被害者ぶって、というか被害者として当然な様子で言うと、アメミヤさんは複雑そうな表情を見せた。呆れるでも慰めるでもなく、そのまま口を結んでいる。 このなんとも言えない顔には見覚えがあった。私がユキ君にくっつきながらも、まだ呪いをかけようとは思っていなかったあの頃にも――ユキ君も幽霊になれば、一緒に話せるのだと気がつく前のことだ――アメミヤさんはこういう表情を見せることが多々あった。 「それにさ」 とユキ君が言葉を続ける。 「女性絡みの不幸話は、別にそれだけじゃないんだ。最近だと、高校の……名前は忘れたが、俺らの代の生徒会副会長だった人に駅で会って、意外と話が弾んだから、じゃあこの続きはカフェで、ってことになったんだけど」 「あぁ、それは不運だったな」 ぼんやりと雨宮さんが答える。「いや、そこじゃないだろ」とすかさずユキ君が訂正するけれど、私にとっては本当にその通りだった。あれはとんでもない不運だ。 なるべくなら、ユキ君の周りには誰も寄り付かないでほしい。女性ともなれば尚更だ。もしユキ君が恋人を作ったら、なんて考えるだけで怖くなる。私以外の誰かがユキ君と触れ合うなんて、そんなことは間違っている。いや、妹さんは流石に別だけれども…… 「で、だ。駅のホームの階段を降りてたら、躓いてゴロゴロと……まぁ、これがさっき言った階段滑り落ち事件でな。そのまま救急車で病院に直行し、俺は女性と関わりを持つ機会をみすみす逃したって訳」 「問題視するべき点が間違っているようだが」 今度はアメミヤさんが修正を入れる。でも、ユキ君の言っていることは何も間違っていやしない。 私は常日頃、ユキ君をこちらに引きずり込むつもりでいるけれど、あの時は違った。もし私に、あっという間にユキ君の呼吸を止めさせられる程の怨力(おんりょく)――我ながらおかしな造語だ――があっても、あんなに人がいるところをユキ君の死に場所にはさせなかった。 私にとって重要だったのは、ユキ君を傷つけることではなく、あの女性から引き剥がすことだった。でもそれは、合コンの時のように、女性の体調を悪くさせるだけでは駄目だった。ユキ君は優しいから、その場合もあの女性を心配して、ついて行ってしまうかもしれない。 だから軽く、ユキ君を階段から転げ落ちさせた。私達の多くは物を動かすことが苦手だけど――外国の幽霊は皆して得意らしい。お国柄だろうか――人が相手ならそれくらいのことは簡単だ。 ただ、ユキ君が痛がっているところを見るのだから、少しくらいは罪悪感が生まれる。幽霊だからなのか、私は中々奇天烈な思考回路をしていると自分で思うけれど、良心だって残っている。それでも、ユキ君を他の女性に譲り渡すなんてことは、とても出来ないのだ。 「……じゃあ、次」 単なる不注意だとか、だとしても理不尽だとかアメミヤさんと言い合ってから、ユキ君がちょっとぶっきらぼうに話を転換させた。 「バーで女性と知り合って、本の趣味が合ったから――と言っても妹ほどじゃないが――色々話してたんだよ。でも、突然女性の方が荒くれみたいな人に絡まれてさぁ」 そう語るユキ君の表情は若干困ったような様子で、私はなんとなく罪悪感に見舞われる。あれは悪いことをした…… 「バーテンダーもその類を相手にするのは不慣れだったみたいで、俺が一人で対応することになったんだ。女性は先に帰して、俺はひたすら、酔っ払いを宥めながら、細々とドリンクを頼み続けるっていう……あぁ、嫌な一日だった」 今になって考えると、他にもっと、やり方はあったと思う。ユキ君の体調を崩させる方が、まだましだった。そうやって、私の所為で他人に格好悪いところを見せるにしても。 少なくとも、酔っ払いの注意をどうにかあの女性に向けて絡ませるのは、全然良くなかった。ユキ君は元より、周りのお客さんも困るだろうし、女性には嫌な思いをさせてしまった。 それに加えて、無意味にユキ君の好感度を高めてしまった。ユキ君は同じバーにはもう行かないだろうから、あの時の女性と再会することもない筈だけど、もしそうなったら少し面倒なことになるかも。 「お人好しだな、君は」 額に片手を当てて溜息を吐くユキ君を観察しながら、アメミヤさんが言った。全くもってその通りだと、私は実体を持たない体ながら、思い切り首肯する。 他人への親切は癖みたいなものであって、ユキ君が他者を特別に好いていたり、良く思われようとすることはあまりない。だから、八方美人なんて嫌な言葉を使うべきではないのだけれど、誰にでも優しいのは確かだ。 「二人で速やかに退散すれば良かったものを」 そのユキ君の親切心を非難するように、アメミヤさんがとことん素直なことを言う。そんな風に悪ぶりながら、この人だってすぐ他人に気を遣う癖に。 「まぁ、それもそうなんだけど。でも、相手する人がいなくなれば、そのオッサンがひねくれるのも目に見えてたからさ、適当に相手してやった方がいいかと思って」 「ふぅん」 「一時間もすれば、勝手に寝たしな。そりゃあもう、ぐっすりと」 「けれど君は、その女性と関わりを持つ機会をみすみす逃したという訳だ」 ユキ君の言葉を借りて、アメミヤさんがなじった。「まぁね」とユキ君は苦笑する。 酔っ払いの登場まで、あの日のユキ君は若干楽しそうに見えた。女性も落ち着いていて、綺麗で、所作が上品で、なんとなくお似合いな感じで、やっぱり私じゃユキ君と不釣り合いかなぁ、なんて思ったりもしたんだけど……でも、ユキ君のことは、私が一番分かっているのだ。それだけは誰にも負けない。 ……と、思う。 いや、周囲の女性に絞れば、私は確かに一番ユキ君のことを知っている。ユキ君の妹さんは、ちょっと特別枠みたいなものだけど……でも、そもそも生者と死人は別だ。全然別。 「で、どうだ、雨宮。これに関しては、何も俺が悪くないだろ。」 「それは認める。だが、酒が絡んでいるんだ。そういった事態もままあるだろう。語るべき不幸ではない」 「そうか? いや、それもそうかな……いいだろう、そういうことにしておこうじゃないか」 腑に落ちない様子ながらも、ユキ君は意外と潔く意見を認めた。アメミヤさんが目を――ほんのちょっぴり――丸くする。驚いた、ように見えなくもない。 「もう少し粘るかと思ったが」 「粘るってなんだよ……まぁ、お前がちょっとくらい共感してくれてもいいんじゃないか、とは思ってるけど」 ユキ君の主張は尤もだ。ユキ君が損ばかりしているのは、私がいるからで、だから、ユキ君に悪いところは何もない。 なのに、アメミヤさんはどうしてこんなに、ユキ君の苦労を否定するのだろうか。そんなに意地の悪い人ではないのに。 「でもな、次は本当に俺の所為でも何でもない、純然たる不幸自慢だ。心して聞けよ」 言葉通り自慢げに宣言して、ユキ君が子供みたいに笑う。こういう些細な仕草も可愛くて、私は好きだ。 というようなことを妹に言われたことがあって、参ってしまった、という話をユキ君の口から聞いたのは、つい最近の話だ。ユキ君の理想の女性とも言える妹さんとの感覚の一致から、変に希望を持ってしまう自分が恨めしい…… 「半年前だったかな、えぇと……そうだ、7ヶ月前。サークルの後輩の子が、誕生日でさ」 誕生日。 その言葉を聞いて、ハッとした。これまた悪い記憶だ。それも、かなり。 「うちのサークル、結構人は少ないんだけど、って、さっきも言ったっけ? まぁ、その中でもさ、親しい人はちょこちょこいたんだ。後輩の子もその一人で、誕生日にプレゼントでもあげようと思ってたんだけど」 「なんだ、交流のある女性もいるじゃないか」 「後輩は別だろ。それに、昔の話さ」 けろりと返すユキ君を見て、アメミヤさんが何やら察したように渋い顔をする。この人はつくづく勘がいい。 「……それで?」 「そう急かすなよ。で、適当にブレスレットとか服だとか選んで、当日に渡そうとしてたら、なんか、奪われて。で、全部おじゃん」 もうお手上げだとでも言うように、ユキ君が肩をすくめて嘆息する。その動作に、私はひどく場違いな感じを覚える。 アメミヤさんは少しの間、呆然としていたが、やがて「ふざけているのか?」と声を発した。ユキ君が首を傾げる。 「説明不足か? 俺はプレゼントを用意していたが、当日になって後輩の誕生日を思い出した先輩……あ、俺にとっても先輩な。その人との交渉の末、プレゼントは先輩が渡すことになった。そういう話だよ」 「交渉だと? 君は奪われたと言った筈だが」 「ん、そうか?」 そうだ。それこそが、ユキ君の本音であるに違いない。 ユキ君は後輩へのプレゼントを前々から計画していた。彼女の趣向に合ったものを選ぶ為に、あちこち奔走もしていたのだ。だってユキ君は律儀で、優しいから。加えて言えば、その人が少しだけ妹さんに似ていたから。 それなのに、折角選んだプレゼントは他人の手に渡って、ユキ君が苦労したことは誰も知らないのだ。あの後輩でさえ。それに、 それにこの件には、私は一切、関わっていないのだ。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加