君を愛す嘘吐

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「君は馬鹿なのか?」 雨宮にしては珍しく、それは単純な罵倒だった。 落合があからさまに嫌そうな顔で「違うけどさぁ」と言葉を返す。励すことはなくとも、よもや棘を刺されるとは考えていなかった。 「奪われたにしろ何にしろ、別にいいじゃないか。大体、俺が馬鹿にされる謂れが……」 「良くない。君の発言は非現実的だ。到底受け入れられない」 「お前が言うなよ!」 落合がふざけ混じりに声を荒らげる。「仕方ない」だの「そういうこともある」だのと常日頃ほざいていた男――最前、自分の苦労を軽く片付けた男にそんなことを言われるのは、どうも気に食わない。 「……大体、そんなにおかしな話か? 年長者の横暴なんて、いつの時代も珍しくないのに」 「だとしても度が過ぎる。それに、君達の言うような贈り物は、もっと尊ばれて然るべきだろう」 「それはそうだ。でも、重要なのは送り主の自己満足じゃなくて、受け取った側がハッピーかどうかで……」 「なればこそ、君が渡すのが道理だ。敢えて面倒な手順を踏む必要は一切ない。他人からくすねられた物品を頂戴したと知った時、素直に喜べる人間は少数派だ」 不機嫌そうな顔をしながらも、雨宮は饒舌に理論を振りかざす。普段は口数が少ない癖に、人を説得する――というか責める調子だが――時に限って、彼はこういう一面を見せる。 そして、彼の言うことが大凡正しいことは、落合も認めるところであった。常識的に考えて――主観に因らず、常識に沿って考えれば――自分で選んだギフトが他人の手に渡り、自らの労力が無視されるということは、道理に背いている。 「第一、君と後輩の関係は考慮したのか? ただの上下関係でもなかろうに」 「いや、ただの先輩後輩だよ。俺の先輩と俺の後輩の関係と大して変わら……待て、先輩はあの子に好意があったらしいから、あっちの方が強いか」 「戯言を……君の行動から察するに、君達の関係は余程良好で密接だ。だからこそ、贈り物は君の手で渡すべきだったんだ」 反論に詰まって、落合が目を一瞬だけ逸らす。確かに雨宮の推察通り、彼らの距離は一般的な先輩後輩の交友に比して、多少、些細ながら、近しいものだった。それは彼も認めなければならない。 だから結局、プレゼントを渡す適任者という視点であれば、落合が相応しい。より深い関わりの人間から施しを受けた方が、喜びが加算されるという仮説に則れば。 いや、しかし、と彼は気がつく。そもそも自分は、雨宮に「非現実的で受け入れられない」不運を伝えたかったのではないか? 少なくとも、そういう話の流れではなかったろうか? 「そうだよな……」 腑に落ちた様子で、落合が呟く。そうだ、これでいいのだ。 「やっぱりこんなのおかしいな」 「だろう?」 「ほら、俺の言った通りだ」 「何、それは……あぁ、そう言えばそんな話だったか」 「な?」 「あぁ……」 急に寡黙さを取り戻し、雨宮が小さく頷いた。なんとも馬鹿なやり取りだが、そんなことは両者共に、はっきりと感覚している。いつの間にやら、立場が逆になっていたのだろう。 しかし、落合にとって確かなのは、そんな珍事を進行させてしまうくらい、雨宮が業を煮やしていることだった。これは全くの失敗だ。無論、彼はそんなつもりで、この話を持ち出したのではないのだから。 「……お前、何がそんなに気に入らないんだ?」 手を膝の辺りで組んで、落合が猫背気味に身を乗り出した。なるべく真面目な雰囲気を削りながら、相手の話に興味があることを示す時の姿勢だった。 そこに小首を少し傾げた微笑を加えると、妹の話を聞く時の態度になるのだが、彼は基本的にそのポーズを取ろうとしなかった。妹とそれ以外の人々とでは、自ずと対応も変わる。 「敢えて言うなら、理不尽に順応している君が気に食わない。昔の君には、まだ人間味があった」 人間味という言葉に反応して、落合が「ん?」と声を漏らす。彼の認識では、高校時代の自分――妹と同じ屋根の下で暮らさなくなってすぐの自分――の方が、遥かに人間味に欠けていた。感情の起伏が乏しく、さながら死人のようだと言ったのは、確か雨宮だった筈だ。 今にして思えば非常に気味が悪いが、当時は妹の不在が切実な問題として、彼の全思考の中枢に居座っていた。人と話しても本を読んでも星を見ても、その体験を、美しさを妹と共有出来ないという単純な事実のみによって、彼は徹底的に打ちのめされてしまった。冷静になってみると非常に気持ち悪いが。 だのに、人間味があった? 「一先ず認めよう、君の不幸を。それで、だ。思うに、君は運命の奴隷でいるのに慣れ過ぎたのではないか? 故に、非合理的なことも簡単にやってのけてしまう」 「いや、待て。そしたら俺は、人の言うことなら何でも聞くことになるだろ。それは違う。俺はただ、断る意義を見出せなかっただけだ」 「……ならばいいが」 少々納得していない様子で、雨宮が呟くように返した。その歯切れの悪さから、落合もどことなく違和感を覚える。自分は本当に、今、言った通りのことを実践しただけなのだろうか。 念の為、当時のことを思い出してみる。しかし結局、生じるのは微かな苛立ちと倦怠感ばかりで、やはり大したことでもなかったような気がしてくる。大怪我をした訳でも、金と時間を無駄にした訳でもない。彼女の手にプレゼントは渡ったのだから、目的も達成されている。 また、その目的は先程述べたように奇妙な形で実現されたが、だからと言ってどうということでもない。寧ろ、さほど損をしなかった割に、現象としての不条理さに長けているため、優秀な話の種となってくれた。雨宮に理不尽を訴える上で、その有用性は証明されている。 その後のことも、所詮は些末事だ。先輩から「自分と後輩が付き合えるよう手回ししてほしい」と依頼され、それを遂行できなかった復讐から、悪評を流され、やがて周囲から排斥されたことも。 ――ほら見ろ。なるべく露悪的な言葉を選んだのに、なんともないじゃないか。元々どうでもいいことだったのだ。 「大体さぁ」 沈黙を破って、落合が陽気な声を上げる。 「本当に俺が奴隷慣れしてたら……つまり、精神が死んでいたら? 最近運が悪い、なんて言わないだろ?」 「それは……そうだ」 またもやボソリと返して、雨宮が考え込むように目を閉じ、俯いた。落合は黙して、やがて紡がれるであろう言葉を待つ。 「その後輩とは、今は?」 「もう全然。俺もサークルには行かなくなったしな」 「そうか……やはり」 身内の不幸でも嘆くように、雨宮が沈んだ声を発した。お前は優しいな、というような言葉が喉元まで迫るが、彼はそれをぐっと飲み込む。 にわかに雰囲気が変転してしまうのは、どうにも耐えられない。 「それより、お前は最近、どうなんだ?」 「……いや、特段、話すようなことはない」 やっぱりね、という風に落合が笑う。実際のところ、雨宮はどんなに珍しいこと、辛いことがあっても、中々それを他人に伝えようとしない。話は聞いてもろくに話さないことが、彼にとっての処世術なのだろう。言い替えれば、色々と億劫がっているだけなのだが。 「ない訳ないだろ。なんかしらあるって」 笑みを交えながら言うと、雨宮は訝るような視線を落合に向けた。それを振り払うように、彼はまた言葉を重ねる。 「面白い人に会ったりしなかったか? お前、そういうところあるじゃないか。普通に歩いているだけで、超越者じみた人にぶち当たったり」 「それは……」 何か思い当たる節はあったのだろう。ところが、彼は僅かに弁解するように声を出したきり、口をつぐんだ。その途端、落合はこの話題の危険性を悟る。 そいつが死んだか殺されたか……あるいは、もっと凄惨なことかもしれないが、まぁいい。なんにせよ、二度と触れたくないような、しかし決して忘れがたい出来事が彼の身近にあったのだろう。そういった考察を一瞬の内に済ませ、落合は後退を始めた。 「まぁいいか。そうだ、喉、渇いてないか?」 松葉杖も使わずに、落合が立ち上がった。雨宮が咄嗟に支えようとするが、落合はそれを手で遮る。 「お茶入れてくるよ。飲むだろ」 「……あぁ、頼む」 落合がそうして身を翻したことに感謝でもするように、雨宮が重々しく返した。その語調が妙に遣る瀬無く思われたが、落合は努めて気にしないようにした。 何も気にしないことこそ、彼の処世術だったからだ。
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