5人が本棚に入れています
本棚に追加
君を愛す嘘吐
「どうも最近、運が悪いんだ」
使い慣れたシングルベッドに腰を下ろし、落合由記はいつものようにごちた。
色の細い、華奢な男だった。顔色には疲労が現れており、元々の貧相な体格も相まって、その姿は入院中の患者を想起させる。
「何か災難でも?」
そう尋ねたのは、壁に身を預けた、これまた屈強とは言えないシルエットの男だった。夏だというのに、薄手のコートを羽織っている。
「なぁ、雨宮……これを見て分からないのか?」
呆れたように言うと、落合はベッドの脇へ追いやった松葉杖を指差した。「あぁ」とようやく気づいたように雨宮が呟く。
「そういえば使っていたな」
落合が彼と三年振りに再会したのも、松葉杖での歩行練習の最中だった。なればこそ、雨宮の言う「災難」に、ある程度想像がついてもいいだろう。落合の家まで向かう際、思い出話と一緒に、彼の覚束ない足取りも十分堪能した筈なのだから。
「で、それが何か……あぁ、骨折か」
「見かけより大した傷じゃないけどな。それより、さっきからお前、気が抜けてないか。具合でも悪いのかよ」
「いや、そういう訳では……」
そう言いつつも、彼の視線は落合へと向けられておらず、どこかズレたところを見つめている。やはり、気が抜けているようだった。
落合はその覇気のなさを心配に思いながらも、一先ず自分の話をすることにした。雨宮のことだ。何を聞いてもろくに喋らないことは、高校時代の経験から分かっていた。そういったことが苦手な男なのだ。
それでも、と落合は考える。三年前、かつてクラスメイトだった頃の彼には、もう少し愛想があった気がするが。
「この左足を折ったのが先週で、先月は火事を起こしかけて、三ヶ月前には階段から滑り落ちたんだ。まだ腰の辺りが痛む」
「それで死んでいないのか、未だ」
変に物騒なことを仏頂面で言われて、落合が苦笑した。確かに、こうも不運が続いているのに骨折で済んでいるのは、一種の幸福なのかもしれない。
もう二年は、こうした状態が続いているというのに。
「まぁ、なんだかんだ当分は生き延びられそうだけど、でも、それだけじゃないんだ。大学生にもなって、何故だか、異性との交友が全然ない」
彼は雨宮に負けじと石像のような無表情を形作り、如何にも深刻そうに告げてみせた。「この辛さが分かるか?」と付け加えると、雨宮はちらと視線を逸らした後、溜息を吐いた。
「それは君の性分の問題だ。運勢と関連付けることはできない」
馬鹿真面目な指摘だった。落合は茶化すように肩をすくめてみせると「そいつはどうも」ととぼけた返事を寄越す。
「確かにお前の言う通りだよ。自分のシスコン具合は、流石に認めなければいけないし……」
そう言いつつ、彼は露骨に唇をひん曲げる。シスター、正確にはヤンガー・シスター、要するに妹に対する彼の執着心は、雨宮をはじめとした旧友にも、両親にも、他でもない妹自身にも、散々揶揄されてきたことだった。
しかし、その執着は彼にとって至極当然なことなのだ。彼の中で妹とは、物覚えついた頃から共にいた、唯一の同年代の女性であり、最も近しい魂を孕んだ存在だ。他の人間、特に異性に意識を割いて、増してや恋に落ちるなど、高校時代の彼ならばとんでもなく悪い冗談だと切り捨てたことだろう――その過激さも、最近は落ち着いてきたが。
「でもな、決してそれだけじゃないんだ。例えば……そうそう、最近、合コンがあって」
「……合コン」
「そうだよ。合同コンパ、転じて合コン。お前だってそれくらい知ってるだろ?」
雨宮は暫くぼぅっと考えていたが、やがて合点したように頷いた。その様子には自信が見受けられるものの、本当に分かっているかは、かなり怪しいところだ。彼は妙に浮世離れしたところがある。
「大学の先輩に誘われて、俺も一度だけ参加したことがあるんだ。でも、それっきり二度と行っていない。なんでだと思う?」
「さぁ」
即答だった。初めから思考を放棄している者にしか出来ない、とことん素っ気無い返事だ。無論、落合とて、そんな彼が気の利いた返事を寄越すことは期待していない。
「それがさ、俺が参加した会で、女性陣が揃って体調を悪くして、帰っちゃったんだよ。で、俺が呪われてるんじゃないかって非難されて」
「出席禁止と相成った、か」
「そういうこと。理不尽だろ?」
苦々しげにつけ加えて、彼は肩を落とした。全く嫌になるよ、という風に。
尤も、合コンに誘われなくなったからと言って、彼にとって特段不都合なことはなかった。元より、意義も愉快さも見出していなかったのだから。
「……君にとっては僥倖だろうに」
その心の内を見透かして、雨宮がぼそっと呟く。「そうでもないさ」と落合が笑った。
かつての渾名と言えば「ユッキー」か「シスコン」の二択である彼とて、時が進むにつれて、特に、妹と別離して暮らし始めた高校時代以降は、ある程度他者との交流を尊重するようになっていた。それは有意義であったり、楽しかったりする以前に、生きていく上で必要となることだった。
「ま、それはいいとして。呪われてるってのは、本当かもしれないよな」
「なんだと?」
訝るように、雨宮が眉をひそめた。一瞬、落合は自分がひどく不謹慎な言葉を発したような感じを覚えたが、その意識を努めて脳から追い出す。
「気でも違ったか」
「まさか。だけど、そう考えると嫌なくらい辻褄が合うってことだよ。そうじゃないか?」
僅かに残った得体の知れぬ罪悪感から、悪い冗談だと彼は思う。けれども、その言葉には幾ばくかの本心が含まれていた。
二年以上続く厄難。一つずつ数えていたらキリがない不運。自分が注意深い人間でないとしても、あまりにも立て続けに迫る命の危機。
これらに説明をつけるとしたら、自らへの敵意、言ってしまえば殺意に起因するであろう超常的な力を持ち出すのが、なんとなく手っ取り早い。自分が心の底で死にたがっているとも、到底思えないのだから。
「だが、だとしたら誰に?」
落合を責めるように、雨宮が早口に尋ねた。落合はいよいよ気取って、腕を組み、顎を少し引きながら、その質問に答えてみせる。
「決まってるだろ? 幽霊――怨霊さ」
最初のコメントを投稿しよう!