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『弘樹、起きなさーい』
2階建ての家。
下の階から母が呼んでいる。
あぁ…やっぱり、さっきのは夢か。
起きて母の元へ行こう、と思うのに…。
なぜか身体が重くて動けない。
『ひろ~?』
呼んでいる。
早く行かなければっ。
『ゴホッ』
母さん、大丈夫?
『ゴホッ、ゴホッ』
つらそうな咳。
荒々しい息遣い。
あぁ早く、早く母さんの元へ行かなければ…。
ふと、急に身体が軽くなる。
急いで自分の部屋を出て、階段へ向かうと…。
目にした光景は、血を流し床に倒れ込んでいる母親の姿だった。
サァっと血の気がなくなる。
身体がカタカタと震える。
か、
「母さんっ⁉」
母を呼ぶのと同時に、目が覚める。
「はっ、はっ…」
落ち着いた雰囲気が表されている木製の部屋。
―こぽこぽ…
少し離れた場所で、お湯を沸かしている男。
「あっ、よかった。目が覚めたみたいだね」
「…」
ここは…。
「残念ながら、ここに君の母親はいないよ」
「…」
わかっている。
母さんがいないことは。
数日前、母さんの三周忌だった。
3年前、病気を患い、呆気なく死んでしまった。
女手ひとつで27年間、俺を育て、支えてくれた。
元々身体の弱い人だった。
無理が祟ったのだろう。
ある日の朝、寝ている俺を起こしている時、血を吐き、倒れた。
さっきの夢のように…。
父親は、俺が生まれて間もない頃、事故で亡くなっている。
俺の記憶にあるのは、いつでも俺を笑顔で支えてくれた母さんの表情だけだ。
そう考えていた時、俺の身体に擦り寄ってきた猫。
「…」
「あぁ、さっきはごめん」
「…?」
なぜか謝ってくる男。
…てか、誰だ?
「そいつ、ロンっていうんだけど…。眠っている君の上に乗っていてね。苦しかったでしょ?」
「…あぁ」
そういえば、夢の中で身体を動かすことができなかったな。
ふと『ロン』という名の猫を見遣ると…。
「っ⁉」
この猫、普通じゃない!
尻尾が2つにわかれている。
俺の気持ちを読み取ったのか、男が
「あー、こいつ猫又なんだ。初めて見た?」
「初めても何も…。普通いないだろ」
どうなってんだ?
猫又なんて実際にいたら、ニュースになるだろ。
そう悶々と考えていたら、
「だって普通じゃないから、この世界は」
「えっ…」
『普通じゃない』?
『この世界』?
いったいこの男は何を言っているんだ?
「まずは自己紹介だね。僕はハル。ここは森の中にある、小さなコーヒー店。一人で営んでいる。君は?」
「…秋月弘樹」
いったい、どこなんだ?ここは。
まさか、まだ目が覚めていないのか?
「言っておくけど、夢じゃないからね。現実!君は、人間の世界から異世界トリップしてしまったわけ」
「んなの信じられるかよ…」
「信じられないじゃなくて、信じなきゃ。君、見たでしょ?村を。人間じゃない、妖怪を」
「っ…」
本当に…ここは現実なのか?
「君みたいな人間がたまに来るんだ、この世界に」
「…」
「ヒロって呼ぶね。まずは朝食にしようか」
爽やかな顔でそう言い、食卓へ向かうハルという男。
「なぁ、おい…」
「ハルって呼んで」
「…ハル。俺は元の世界に戻れるのか?」
「…残念だけど。今までこの世界に来た人間が、元いた場所に戻れたっていう話は聞いたことがないな」
「…そうか」
そうなのか…。
元いた場所に戻れないのか…。
まぁ…特別戻りたい、とは思ってない。
母はもういないし、結婚もしていない。
もちろん心配してくれる友人もいないから、特に悲しいという気持ちはない。
「ヒロ、おいで」
ハルに呼ばれ、ゆっくりとベットから下りる。
連れて行かれた席に座る。
そこへハルが料理を運んでくる。
「…」
よかった。
食べ物は、人間界と同じようだ。
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