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探し人
チカチカと切れかけの蛍光灯が窓の無い通路を照らす視線の先、雑居ビル八階にある怪しげな事務所に一人の女が姿を現したのは、眩い西日が応接室を照らす夕暮れ時だった。
歳は四十代前半だろうか、明るめのブラウン系に染められた髪に指先を通しゆっくりとかき上げる瞬間、白髪が数本薬指にはめられた指輪と同じ輝きを放つ。
今夜は鍋だろうか? 手にしたスーパーの袋から伸びる長ネギが、家庭を守る何処にでもいる一般的で幸せな主婦を連想させるだけに、事務所を尋ねた理由に違和感を感じざるを得ない。
「すみません。私、こういう所は初めてで、お金は用意しています!
だからお願いです。彼を探して下さい」
興奮気味に語る女性は買い物袋の中へと、細腕を伸ばし何かを手にした。
やがてテーブルに置かれた信用金庫の封筒、収められた現金は二十万。
「奥さん、落ち着いてください」
「足りないのですか? 明日には足らない分は何とか……」
恐らく専業主婦の彼女は夫に内緒で家計をやり繰りし貯めたであろう現金。
視線を向けると幾つか毛玉が目に付く程着古したフリース、スタイルの良さからか気が付かなかったが、身に着けている物はどれも質素な物ばかりだった。
『きっとこの女は、キャッシングしてでも金を用意するだろう。この金があれば少しは贅沢が出来るだろうに――』
「いくら……、あと、幾ら用意すれば探して頂けるのですか?」
まるで最愛のペットが迷子にでもなったかのように、哀し気な眼差しを向け懸命に縋る様に問いかける。
「冷静になってください。ウチはまず着手金として十万円をお預かりし、二日前後全力で捜査を開始します。その間にある程度の目処をつけ残額はその際に相談させて頂き、ご理解頂ければあとは成功報酬の形をとっています」
「えっ……、それじゃぁ、探して頂けるのですか! 本当ですか!!」
徐に封筒から取り出した札束から十枚の福沢諭吉を抜き取ると、残りを丁寧に封筒へと戻し、彼女へと手渡す。
余程の覚悟を決めて来たのだろう。封筒を受け取った彼女の指先は微かに震えていた。
都会の闇に紛れた探偵事務所、依頼主の人妻は人探しの依頼を淡々と告げながらも、消えた男を思い返す姿はまるで淡い初恋を語る様に、頬を染め恥じらいながら微笑みを浮かべる。幸せそうに語り終えた彼女の満足げな姿と相反し、俺の表情からは微笑みは消え去る。
「……」
「名前も分からなくて、彼が残していったのはこの小さなマッチだけなんです」
素人相手に悟られないように浮かべる作り笑顔を振舞いながら見送る彼女は、何度も繰り返し深く頭を下げると同時に、ここに訪れる全ての依頼者が残す同じ言葉を継げた。
「すみません……、この事は主人には……」
「ご安心ください。我々は守秘義務を順守し、命に代えても依頼内容は口外致しません」
その言葉を耳に、安心した面持ちでゆっくりとエレベーターに乗り込み彼女は去って行く。
「ふぅ――っ……、全くどう言う事だ!?
四人の人妻が同じ男を探すなんて、しかも皆、名前も知らない。そして奇妙な事に、手掛かりに繋がる物証は小さなマッチ」
探偵の仕事を始め二十年――、
経験のない事態に過る嫌な予感は、翌朝、見事に的中する事となった。
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