落としものはなんですか

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落としものはなんですか

 私がその異常に気がついたのは駅の自動改札に財布を翳した時だった。 いつもであればパカッと綺麗に観音開きで通り抜けられる筈の改札ゲートが開かないのだ。おかげで膝小僧を改札ゲートに思い切り打ち付けてしまった。  私はいつもIC定期券を財布に入れ、それを自動改札のカード読み取り部に軽く翳すことで改札の通り抜けを行っている。それが上手く行かないとはどういうことだろうか。他の磁気カードと磁気が干渉してエラーでも起こしたのか、それとも、お札や無駄に入れているレシート券が分厚すぎて磁気を弾き返す程になっているのだろうか。確か小学校の時の生活科でやった磁石の実験だと大学ノート程度の厚さぐらいまで磁石と磁石はくっついた記憶はある。社会人らしく万札数枚にレシート数枚程度と財布の厚手の牛革程度で磁気を遮断するなんて到底思えない。 そんなことを考えながら私は財布を漁った。原因は簡単(シンプル)、IC定期券が無いだけであった。 「ちきしょう、定期落としてしまった」 私のIC定期券は更新したばかりの六ヶ月の最長期間、なおかつ電子マネーも数日前に二万円のフルチャージ済だ。おそらくだが十万円近くの価値はあるだろう。ICカードと言うことで実感はあまりないが、十万円を持ち歩いているようなものだ。 そんなものを落としたとなればこの世が終わったかのように焦りに焦りを覚える。この間、ほんの一瞬の間だったが、手は汗でしっとりと湿り、背広の中のワイシャツも肌色が濡れて透けて見えるのではないかと思うぐらいに汗で濡れきっていた。 こういう時こそ冷静にならなくては…… 私は背広のポケットの辺りで手汗を拭きながら、IC定期券の行方を思い出す。  まず、いつ落としたのだろうか? 今こうして駅の改札の内側にいるのだから、会社が終わって最寄り駅の電車に乗る時に使ったのは間違いない。朧げながらに財布ごとIC定期券を翳した記憶は残っている。ここまではセーフだ。 次に電車の中だ。今日は幸運にも通勤ラッシュから外れた時間の帰宅であったためにのんびりと座席に座ることが出来た。四人がけのボックス席の窓際に座り、窓から見える紅葉の山々をお茶請けにしてコーヒーを飲んでいた記憶も残っている。あのコーヒーは普通列車には珍しい車内自動販売機で買ったものだ。IC定期券には二万円のチャージ済、財布の小銭を使うまでもない。 自動販売機にICカードを翳した記憶も朧げながらに思い出してきた。 そうだ! あの時は財布からICカードを出して直接ICカードを自動販売機に翳したんだ。 その時にぽろりと落としたか、席に行く途中でスルリと落としたか、席について財布に入れたつもりがズルっと座席の上か床に落ちたかしたのだろう。  これはついてない。私はIC定期券を落としたと言う現実を受け入れ、駅員に再発行の手続きをしてもらうべきだと考えた。この手続きをした時点で落としたIC定期券は単なる銀色のカードに成り下がる。拾った不届き者による不正利用を防げるということになる。 私のICカードは定期券故に記名してあるために払い戻しは無理にしても、二万円のチャージ金額が不正に使われる可能性はゼロじゃない。二万円なんて、駅構内でちょっとしたお土産でも購入すればすぐに吹っ飛ぶ額だ。 全く、お金というものは羽根のように軽いものである。
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