怒りの本質

1/1
前へ
/2ページ
次へ

怒りの本質

【怒りの概念】小論 怒りとは、『満たされていない』、『不満である』から、生まれる。 『満たされていない』、『不満である』とは、対象とする相手が存在する。 『思い通りにならない』、『認められない』と外部の影響により、生まれる。 つまり、怒りとは、『寂しい』ということである。 『寂しい』とは、孤独、独りという怖れから生じている。 もし、怒っている人がいるならば、その人は、「寂しいんだな、独りぼっちで怖いんだな」と捉えると良い。 怒っている人の周りから、人は離れていくであろう。 なぜならば、怒っている人は、平常心を失い、言葉を荒げて、態度を大きく動かすために、自らに危害を被ると判断して、本能的に拒絶するためである。 「少し距離をおいておこう」、「穏やかになるまで、話しかけないようにしておこう」と考えがちだが、怒りの概念で解釈すると、「今、寂しいんだな、可哀想だな」と思って、話しかけてみると、その怒っている人は満たされる。 話しかけると、怒っている人は、荒げた言葉や暴力を振るうだろう。 しかし、特定の対象に怒るというのは、怒ることがてきるという安心感から生じる。 例えば、命の危険が脅かされている環境で怒ることができるだろうか。 怒ろうとする対象がとても恐ろしかったら、怒ることができるだろうか。 つまりは、相手が怒ってきたならば、甘えがあり、自らを信じて、怒ってくれているのである。自らに甘えてくれているのである。 なので、「今、寂しがって怒っているんだな」、「私に苛立ちを当ててきた」時には、私に甘えて、その寂しいという気持ちをぶつけてきてくれているんだなという解釈ができる。 このように、怒りとは、不満という孤独から生まれ、その環境やその対象に甘えているのである。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加