Fragment

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 じじじ、と砂嵐がすべてを掻き乱すように舞い飛んでいる。ちりちりと肌を叩く砂は、大きな威力はないものの不快で、目を細め、腕で顔を庇う。  けれど、それもしばらくそうやってじっとしていると徐々に弱まってくるのがわかった。ほっと胸を撫で下ろす。こんなふうに、いつ終わるかもわからぬ嵐に脅かされ続けるのはひどく心細いものだ。  そしてそれは突然だった。吹き荒れていたはずの風が、すうっとどこかへ溶けるように消え去ったのだ。思わず息を呑む。砂嵐と入れ替わるようにやってきたのは、耳を刺すような静けさだった。胸の奥がざわざわとさざ波立つ。それはなんとも不気味な静けさだった。  ゆっくり、ゆっくりと、目を覆っていた腕を下げる。固く閉ざしていた瞼を、そろりと開く。  まず目に入ったのは、ちかちかと眩く点滅するなにかだった。なんだか妙に眩しく感じて、思わず目を細める。そうやってその点滅を見やると、その正体が液晶画面であることに気がついた。それも、ひとつではない。いくつもの画面が壁に埋め込まれ、それぞれがせわしなく、けれど無機質に、音のない白黒の映像を映し出しているのだった。  はっとして今度こそしっかりと目を開いて辺りを見回してみれば、そこは窓のない暗い部屋だった。だからこそ、液晶画面の映し出す映像がやたらと眩しく感じたのだ。暗闇に溶けて見えぬほど高い天井からいくつか照明が下がっているけれど、その明かりはいささか心もとない。  ふと、その照明のうちのひとつが風もないのにゆったりと揺れていることに気がつく。ゆらり、ゆらりとそれは揺れている。その揺れている照明を、呆然とした心持ちで見上げる。なぜ、風もないのに揺れているのか。なぜ、ひとつしか揺れていないのか。  それから、まるで反響しているような不安定な響き方で、遠くからなにか音とも声とも言えぬものがふわふわと漂うように聞こえてくるのにも気がついた。  吐き出す息が震える。ここは明らかに異様であり、そして自分はここにいるべきではない、となにかが、おそらくは魂と呼ぶべき自分の根源の部分が、そう叫んでいた。  と、今度は、背後から突き刺すような視線が唐突に襲ってくる。ぞわり、と背筋が震えた。それは、あまりにも鋭い視線だった。見なくてもわかる。その視線には、はっきりとした憎悪が含まれていた。こくりと唾を飲み下す。喉につっかかるように、不器用に、それが腹の底へ落ちていくのを感じる。それから、薄く開いた唇でひっそりと深呼吸をする。すうっという、自分の中へ空気が吸い込まれていく音が、やけにうるさく耳に響く。ぎゅうっと目を閉じる。瞼の見せる闇に、なにかが蠢く。それはおそらく、怯えが見せる幻想だろう。  また、深呼吸をする。そうしてようやっと、目を開いた。意を決して振り返る。視線の主の姿をみとめる。  思わず目を見開いてしまった。それは、ひとりの少女だった。小さな少女だ。黒くて、白い。吐き出した息が思わず震えた。少女はただただ、じっとこちらを見つめてくる。それは、ぞくりとするような冷たい瞳だった。その瞳に色はない。文字通り、色がないのだ。  と、少女の顔がぐにゃりと歪んだ。その形相に、ひくりと喉が引き攣る。少女のその表情は苦痛そのものだった。それは今にも泣き出しそうでもあり、叫び出しそうでもあり、そして、なにかを諦めているようにも見えた。  そして、少女がついに、堪りかねたように叫び声を上げる。  ――どうして……!  悲鳴じみた少女の叫びが、耳を叩いた。その慟哭に体が震える。あまりの悲痛さに、心臓が内側から握り締められるような苦しみを覚える。  なぜそんなにもこの少女が自分へ憎しみの目を向け、悲痛を訴え、そうして諦めようとしているのかわからず、ただ少女を見つめ返すことしかできない。すると少女はまた、次の言葉を吐き出そうとでもしているのか、口を大きく開いた。息を詰める。少女の言葉を、その苦しみを、とにかく受け止めなければならない、とそう思った。それが自分という意義であり、そして、存在価値であるとすら思った。  思ったのに。  けれど、結局それを聞くことは叶わなかった。また、砂嵐が襲いきたのだ。砂嵐に視覚も聴覚も乱され、すべてが掻き消されていく。細かな砂が体を叩くのを感じ、思わずまた、顔を庇うように腕で覆い隠した。  最後に腕の隙間から覗き見た少女は、砂の向こうで泣き叫んでいた。その表情は絶望に満ちていた。見ていられないほどに、その姿は痛ましい。少女の姿が砂の向こうに霞んでいく。助けることも、償うことも、投げつけようとする言葉を受け止めることすら、叶わない。自分のふがいなさに、今度は腹が立ってくる。情けなくなってくる。砂嵐が勢いよく舞い飛んでいる。腕の中で、きつく目を閉じた。そうやって、無理やりに、少女を視界から追い出したのだ。
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