第三話

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こういう、鈴しか自分の世界にいないような錯覚に(おちい)るのは、よくあることだった。大衆と違う形の恋に落ちて、もう七年になる。誰にも言えず、引け目さえ感じて、(くすぶ)る想いを持て余してきた。相手の一番(そば)で歳を重ね、否が応でも深くなる思慕は、黙々と直下(ちょっか)には進まなかった。恋心という標識を掲げるにはひねくれすぎやしないかと不安に思うくらいに、千鳥足をしている。男女の恋愛で、ましてや高校生という青二才の分際で、想い人に見蕩(みと)れて、我を失うなんて滅多に無い。精々つい目で追ってしまうだとか、光が散っているように輝いて見えるだとかだ。でも自分にはそれがあった。最近は、歯止めの利かない劣情にも手を焼いていた。自慰の時には彼の名前が漏れるし、頭の中で幾度も(おか)した。 鈴の単純な造形の範疇を超えた美しさに気圧され、また、心を強く打たれ、鈴の目覚めに安堵するという反応に、俺は辿り着けないでいた。完全に心を持っていかれた。対して、凛子さんは早かった。口元を抑え、半ば泣きながら、加速度的に鈴の元へ駆け寄った。凛子さんの踏み出した一歩が病室に響く。金属質な靴音は、俺の意識を一瞬、引き上げた。 ふと珍しいな、と思った。 足癖の悪い彼は、すぐ胡座(あぐら)をかく。体育の時、素直に三角を脚でこさえる彼など見た事がない。人形のように丁寧に座っている彼には、借りてきた猫のような違和感を覚えた。それに、景色を眺め物思いに耽けるほど、(いき)な人間とも思えない。外を見るのにも飽き飽きして、携帯電話を(もてあそ)んでいそうなものだ。しかし現に、目の前の彼は窓外(そうがい)に気を取られ、俺と凛子さんの来訪に気付いていない。 記憶との小さな齟齬(そご)は、俺に刺さったのも束の間、一呼吸のうちに抜けてしまった。俺の意識はまた鈴に吸い寄せられた。 ああ、振り返る、と思った。 自分と同様に、凛子さんのヒールが鈴の肩を叩いた。生命の危機に陥った時、時間が普段より(のろ)く感じると言うが、まさにそれだった。
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