第四話

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「あんた、自分の名前は分かるの?」 (すが)るような凛子さんの口振りに、彼女の動揺を肌で感じられる。鈴は愛想笑いを浮かべて口を開いた。 「ええと、俺は。あ、あれ?ちょっと待ってくださいね。おかしいな。自分の名前ですよね。いや、はは、まだ起きたてで、頭がぼうっとしてて。」 鈴の声色はまさに竜頭蛇尾だった。鈴は意気込んで自分の記憶を洗ったが、何ひとつ思い出せないようで、恐怖に近い焦燥感に顔を歪めた。最後には泣きそうになって、分からない、と頭を抑え丸くなってしまった。 再び静寂が訪れる。凛子さんは不意に膝の力が抜けたようになった。俺に支えられてなんとか立ち直す。昨夜から緩む暇のなかった神経は、いよいよ限界に達しようとしていたらしかった。 そんな凛子さんを他所(よそ)に、俺の中で悪い考えが頭をもたげた。そして俺は、それの手を取ってしまった。 「ねえ、凛子さん、看護師さん呼んだ方がいいんじゃない?」 「あ、あぁ。そうね。呼んでくるわ。」 凛子さんの規則的な(かかと)の音が遠くなる。 俺はベッドに腰掛けた。鈴の目線に合うように、腰を曲げる。 「ねえ。」 鈴の髪を整えるように撫でる。彼は(のろ)く顔を上げ、(わら)にもすがる思い、といった面持ちで俺を見上げた。彼の目は澄んで、悲痛に濡れていた。まるで捨てられた猫のようで、庇護欲が強く掻き立てられる。自分が、彼を守らないと。そういう使命感のようなものが湧いた。そしてその欲は、劣情に焚き付けられて、抑えられないほどの猛炎(もうえん)となった。空論を、うっかり机上(きじょう)から転げ落としてしまった。
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