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「君の名前は山崎鈴だ。」
俺は鈴の目を真っ直ぐに見つめた。明らかに純粋な善意だけではない心の内を隠すために。
「十六歳の高校二年生。あと六日で誕生日を迎えて、十七になる。」
柔らかく、寛大な声色で言った。自分自身にも言い聞かせるように。
「君は昨日、交通事故に遭ったんだ。ここは病院。」
「――はい。」
鈴が相槌を打つ。盲目的に俺の言葉を吸収しているようだ。記憶のない、空の彼の中に、重石が入れられていく。俺の言葉という重石が。
「分からない」は怖い。そして、自分自身のことがそうであるのは、一等怖い。この恐怖からの脱却を、彼は無意識に求めている。自分が何者か決めつけてしまいたい、安心が欲しい。そう焦がれている。その恐怖を俺は知っている。俺が怖かったのは、鈴に対する異質な感情。そして、俺は恋情という名を付して、その恐れに打ち勝ったのだ。
恐怖は克服されるべき、取り除かれるべきで、排除によって初めて幸福がもたらされる。克服の手段を教えてやる。これは、同じ経験を持つ俺にしかできないことだ。また、幸福は彼にとって利益だ。生理的に彼が求めるものだ。
つまり、正当だ。俺の考えは正当だ!――大義名分が歪に築かれていく。
もう鈴の瞳は揺らいでいない。鴨の雛が初めて見た音を発する動体を、親だと認識するように、初めて自分の定義を与えてくれた俺を、無条件に鵜呑みにする。
俺は目を一瞬も逸らさず、努めて誠実さを保って続けた。
「俺は薮田雷。君と同じクラス。俺らは幼馴染で、それで――」
しかし、言葉に詰まった。一抹の良心が続きを塞き止めた。さっきまで俺の正当性の保証をしていた鈴の送る純真な視線が、俺を裏切って突き刺した。
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