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「梨香、帰ったら手を洗って」 「はぁ~い」 幼稚園のお迎えから帰ると、梨香はバタバタと走って洗面所に向かった。 水を流す音が聞こえてくると、私は料理の支度に取り掛かる。梨香は先日行われた運動会でかけっこの一番になった。お祝いに家族でレストランへ行って外食をしたけれど、梨香は「ママのハンバーグの方が美味しい」なんて嬉しい事を言ってくれたから。今夜はハンバーグにすると約束していた。玉ねぎを刻んでいると、手を洗い終わったらしい梨香が背後でぴょんぴょんと跳ねている。 「梨香、包丁危ないからテレビ見ててね」 「はぁい…」 退屈そうな返事をして、梨香はリビングへと歩いて行った。 程なく子ども向け番組の音がキッチンまで聞こえてきて、すっかり憶えてしまった私も番組の歌を口ずさみながら挽肉に刻んだ玉ねぎを加えて上機嫌でタネをこねる。梨香もノリノリで歌っているみたいだった。暴れるような音も聞こえてくるから、恐らく踊りながら歌っているのだろう。ここが田舎の一軒家で良かった。都会の集合住宅ではこんな子供のはしゃぐ動きにも気を遣わなくてはいけないのだろう。それを思えば、私の子育ては大分気楽な気がした。 ハンバーグの形を整え終えた辺りで、ふと妙な感じがした。 梨香の歌声と私の鼻歌交じりの歌声に合わせるようにもう一つ子どもの声が聞こえるのだ。テレビから流れる音声は大人の歌声なので違う。今日は梨香の友達なんて連れてきていないので、私は首を傾げて相変わらず踊っている梨香を覗き見る。一人で踊っているはずの梨香は、まるで誰かと手を取って踊っているかのように、誰かに話しかけながら踊っている。子ども特有の妄想で遊んでいるのだろうか。少し様子を見ていると、梨香は“一緒に踊っているらしい相手”に向かって『ナミちゃん、踊るの上手だねー』と言った。 その途端、私が封印していた嫌な記憶が溢れるように蘇った。 それは、誰にも話せない恐ろしい記憶だった。架空の友人を“ナミちゃん”と呼ぶ梨香が恐ろしく、私はその場で「梨香!」と金切り声で叫んだ。 ビクッと肩を揺らした梨香は、不思議そうな顔で私を見つめてくる。 感情的にならないように、私は努めて静かに「ナミちゃんって、誰?」と聞いた。梨香は少し困った顔をして「ママの友達だって。…あれ、いなくなっちゃった」梨香は縁側のガラス戸を見つめる。外は夕日が落ち、暗闇が訪れていた。室温が嫌に寒い気がして、私は思わず梨香を抱きしめた。ナミちゃんが、私に復讐に来たのだろうか。それならそれで仕方ないのかもしれない。でも娘の梨香に危害があるのは耐えられない。私は「ママ?」と呼ぶ梨香に「ごめんね、ごめんね」と繰り返し謝った。
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