ひまわり

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 集中していないと、危うく口からこぼれてしまいそうだ。  ──集中、集中、集中……  自分の鼻の頭らへんに意識を集中させ、呪文のように心の中で繰り返す。  すると彼が、「顔、怖いから」と一言。  そのあとすぐ、私の両頬を片手で挟むようにしてつかんだ。  間違いなくぶさいくな顔をしているだろうにも関わらず、そのままで彼を凝視していた。 「……好き、です」  予想していたが、こんなところで出てきてしまった。けれど、それと同時に車のクラクションと村本さんの笑い声が重なった。  彼が聞き返さないのは、本当に何も聞こえなかったからだろう。  伝えたくて言ったはずなのに、伝わらなかったことにどこかほっとした。  村本さんは、ドエスだ。しかも、超が付くほどのドエスに違いない。  嫌がる私を見て、 「お前おもろいな!」  言いながらケラケラ笑っている。  彼の手をどかそうとするけれど、「信号が変わるまで無理」、そんな理不尽な言い訳を当たり前のように言った。それなのに、百パーセント嫌だとは思わなかった。この状況ですら、彼に触れられていることが嬉しかった。  ──単純……  結衣子の声が今にも聞こえてきそうだ。  この前は気付かなかったけれど、村本さんはものすごくマイペースな人だ。それも、あと一歩でわがままに変わるぎりぎりのところのそれだと思った。ずかずかと大股で歩いているように見えるのに、歩幅は私とほとんど変わらない。  そんな、彼の優しさに気付いた瞬間心の中でため息がもれた。 「店、もうすぐやから」  そう言うと、軽く咳払いをした。 「なぁ──」  先ほどよりも、声が低い。 「りおちゃんのこと、りおって呼んだらあかんかな?」 「え、はい。もちろん、いいですよ」 「ほんまに?」 「はい、村本さんが、そのほうがいいなら」  男性にそんなことを聞かれたのは初めてだった。  青野くんには、いつのまにか名前で呼ばれていた。こうやって思い返すことをしなければ、そんな些細なことなど気にも止めなかっただろう。 「りお」 「は、はい……」 「呼んだだけ」  言葉遊びをするように、言いながら笑っている。  胸が、苦しい。苦しくて、うまく笑えない。 「りお」 「な、なんですか?」 「ん、練習」 「え?」 「りおって呼ぶ練習」  発想が、小学生よりも子供だと思った。もしかすると、一周回ってこれが大人なのだろうか。ただ、そんなことを平気で言ってしまう彼を、可愛いと思った。私がそう言ったら、彼は怒るだろうか、それとも、笑ってくれるだろうか。  自分の気持ちに気付いてしまった以上、前に進むことしかできない私には、後戻りなんて器用なことはできない。うまくいくとかいかないとか、結果よりも今の気持ちが先行してしまう。  「ここやで」、言われて店内に入ると、想像していた感じとは全く違った。イタリアンと聞いて咄嗟にレストランを思い浮かべていたけれど、それよりももっと気軽に、女性一人でも入れそうな雰囲気のお店だった。  愛想の良い男性スタッフが、店内の奥まで続く長いカウンター席に案内してくれた。  ほとんど無意識に、左側のスツールに手を伸ばすと、 「なぁ、俺がこっちでもええか?」 「え、はい。どうぞ」  座るなりすぐにたばこに火をつけた。左手で持ったそれを、私から遠ざけるようにしてから、メニューを手渡してくれる。ひとつひとつの彼の動作を、いちいち目で追ってしまう。  そこからはもう、楽しくて仕方なかった。 村本さんと一緒にいられることが嬉しくて、今度こそ勢いで「好き」だと言ってしまわないよう自分なりに考えた結果、とにかく食べてお酒を飲む、だった。そして、なるべく違うことを考える。けれど、後者は開始早々すぐに断念した。それでも、どうにかして自分にブレーキをかける。  後戻りはできないし、前にしか進めないけれど、少しくらいなら立ち止まることはできる、はずだ。  私みたいに一目惚れでしか誰かを好きになったことのない人間は、時間をかけて好きになるということの意味がよく分からない。 村本さんは、どちらのタイプなのだろう。 「村本さん、大好きですぅ!」  作戦、失敗。と言うか、そもそもが無理だったのだ。  三杯目のカルーアミルクを半分ほど飲んだあとのことだった。村本さんが何本目かのたばこに火をつけ、眉を寄せて肩の力を抜くようにして煙を吐き出す姿を見ていると、なんの前触れもなく「好き」が口からこぼれていたのだ。自分の限界の早さがこれほどまでかと、自分でも驚いた。 「分かったから、それでおしまいやで」  今日は、最初からずっとカルーアミルクだった。ただ、これが何杯目なのかは覚えていない。 「嫌です……」  口の中でもぞもぞと答える。 「あかん、お前飲み過ぎや! これ飲んだらこの店出るからな」  嫌われた。そう思った。口調が、怖すぎる。まだ何も始まっていないけれど、終わりを告げられた気がした。  短い恋の終わりに、乾杯。心の中で呟く。そして、残りのカルーアミルクを一気に喉に流し入れた。  チラチラ大作戦のために買ったフレアスカートが、悲しくも夜風に揺れる。千鳥足だとばれないように地面を踏ん張るけれど、その頑張りは、ものの一分も持ちそうになかった。 「お前、電車は無理やろ」
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