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お互い黙ったまま、何か別々のことを考えている気がした。
しばらくそうしていると、左手に違和感を感じ、ゆっくりと目を向けた。
彼が、私の指に自分のそれを絡ませている。どうかしたのかと、聞かない代わりに視線を送る。目が合うけれどそれも一瞬で、まつげを伏せるなりおもむろに眉を寄せた。
「……久しぶりに、りおに触れた」
「え……」
唐突すきて意味が分からなかった。
「でもさっき、転びそうになって支えてくれた時、」
そこまで言うと、「そうじゃなくて」、私の言葉を遮って続けた。
「意識的にっていう意味」
私が首を傾げると、さらに指を絡ませた。
「りおってこんなだったっけ?」
手元を見ながら言っている。
「ごめん、言ってる意味がよく分かんないんだけど」
そこでようやく目が合った。
青野くんは小さく首を横に振ると、ふっと笑った。だからますます意味が分からなくなる。
「なんでもない」
その声色からは、言葉通りの意味ではないような気がしたけれど、何も聞けなかった。
「りおは、その彼のことがまだ好きなの?」
俯いたままでこちらを見上げるから、表情が少し怖く見える。
「い、今は、よく分かんない」
「それは、もう好きじゃないってこと?」
青野くんを前にして、素直に「はいそうです」と言える勇気はなく、考えた末に、「たぶん」と曖昧な返事をした。
「たぶん、か……」
指先は青野くんに握られたままだ。
「彼とまた、会いたい?」
返事に困った。
会いたいか会いたくないかで聞かれると、会いたいわけでもないけれど、かと言って、会いたくないわけでもなかったからだ。
相手次第、と言うのが正直なところで、これをどうやってうまく伝えればいいのだろう。
「僕に遠慮してる?」
勘違いとも取れる一言に、首を横に振った。
「そうじゃなくて、何て言うか……」
「私のわがままで」、瞬間、結衣子に言われた言葉が頭を過った。
私の自分勝手な言動で青野くんに迷惑をかけ、傷付けた。
「正直に、言ってもいい?」
恐る恐るそう聞くと、彼は黙ったまま頷いた。
自分をいいように見せようとしたところで今さらだ。
わがままだった自分が悪い。
「今はもう、なんとも思ってない、かな……」
日本語が、こんなにも難しいのかと思うほど、たどたどしさが半端なかった。それでも、一応でも、それが私の本心だった。
怖くて隣に顔を向けられないでいると、しばらくして彼が笑うのが分かった。
「……え?」
「ごめん、なんでもない。ただ、正直に言い過ぎだから」
「ごめんなさい……」
彼がゆっくりと鼻から息を吐いた。
「りおにさ、突然好きな人ができたって言われた時、本当はめちゃくちゃショックだった。けど、同じくらい格好つけてた。男としてって言うより、そうやって気を張ってないとうまく話もできなかったと思うから。だけど今は、もっとちゃんと、自分の気持ちを素直に言うべきだったって、後悔してる。それに、りおの気持ちの変化に気付けなかった自分を責めたりもした」
私のせいなのに、私にはそんな資格ないのに、泣きそうになって唇をきゅっと噛んだ。
「りおのこと、もっと大切にすればよかった……」
堪えきれずに、涙がこぼれた。
見られないように顔を背けるけれど、それが不自然に見えたのか、すぐに気付かれてしまった。
彼の手が私から離れていく。今度はそれが、頭の上に置かれた。
「泣かなくてもいいよ」
柔らかく、慰めるようなその声は、余計に私の涙を誘った。けれどその涙は、彼からすれば筋違いもいいところだろう。それなのに、どうしてこんなにも優しい言葉がかけられるのだろうか。
「ごめんなさい。私が泣くのは、違うよね……」
適当に涙をぬぐい、これ以上は泣かないようにと奥歯をぐっと噛み締めた。
彼の手が、私の頭を撫でる。
「自分のこと責めなくていいから。ごめん、僕が言い過ぎたね」
小さく何度も首を横に振った。
「りおの気持ちは分かるから。きっと、誰もが理解できることだと思うよ。うまく言えないけどさ、誰かを好きになるって、一番コントロールが難しい感情って言うか、ほとんどコントロールできないに近いと思うから、仕方ないよ」
力が抜ける。けれどもう、涙は出なかった。
次第に、青野くんが慈悲深い仏様のように見えてきた。もちろん、恋愛専門のそれだ。
思わず手を合わせた。
「りお?」
「私なんかにはもったいないお言葉です。本当にありがとうございます」
ゆっくりと頭を下げる。
「別にそんな、たいしたことなんて言ってないから」
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