カスミソウ

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「だって、まさかそんなふうに言ってもらえるなんて思ってもなかったから」  笑ったつもりが、うまくはそうできなかった。 「それと、私だけが思ってるだけかもしれないけど、前みたいに話せて嬉しかった。久しぶりに青野くんの笑顔を見れて、なんか、ほっとした」  言いながらまつげを伏せた。 「僕もだよ」 「……それじゃあ、私もひとつ聞いてもいい?」  少し驚いたような顔をしたけれど、すぐに「いいよ」と言ってくれた。 「──青野くんは、本当に怒ってないの?」  言いながら、心臓がきゅっとなる。 「わ、私のこと、嫌いじゃないの? 本当は、こんな自分勝手な女の顔なんて一生見たくないとか、わけ分かんない奴だなとか、とにかく変な女だなとか。青野くんこそ正直に言って」  一気にそこまで言ってから、のろのろと彼の方を見る。すると、手で口元を覆っていた。何か言いづらいことでも言おうとしているのかと、さらに心臓がきゅっとなる。けれどその予想は大きく外れ、よくよく見れば単純に笑いを堪えているだけだった。 「な、なんで笑ってるの?」  聞いた途端、遠慮なく笑いだした。 「だって、りおの顔がおかしくて」 「──もう、私は真剣に聞いてるの!」  思わず声を上げた。 「ごめんごめん。でも、本当にそんなこと思ってないから。りおが思ってるようなことは、全然ないから」 「……分かった」  すぐには納得できず、とりあえずと言った答え方になる。  そして、鼻から短く息を吐き、「よしっ」、と言ってからすっと立ち上がる。 「それじゃあ、もう遅いから」  青野くんに言った。 「え、ああ、うん。なんか急だね」 「午後からとはいえ、明日仕事でしょ。早く帰って寝ないと、寝不足はお肌に悪いから、ね?」 「そう、だね……」  靴を履き、私に振り返ると、優しく笑いながらもう一度私の頭を撫でた。たぶんこれは、彼の癖だろう。私の知る限り、付き合っていた時からずっとだ。もちろん、好きな人にされるそれは嬉しいに決まっている。ただ、私に犬か猫でも重ねて見ているのかと思ったことがある。もしくは小さな子供だ。  ご主人様、とは口には出さないけれど、言いそうになったことは何度かある。 「もうすっかり酔いは冷めた?」  頭に手を置いたままで言った。 「ちゃんと立ててるし、もう大丈夫だよ。今日は本当、色々とありがとね」 「ううん。それじゃあ、また連絡してもいいかな?」 「うん、待ってる」  その会話があまりも自然で、一瞬しそうになった。  翌日、早速青野くんから連絡があった。 「また食事に行こう」という短いメッセージを見て、急に懐かしい気持ちになった。昨日会っていた時には感じなかった、別の懐かしさだ。 「で、どうだった?」 「どうって? どうなんだろ」  結衣子の部屋のソファーでだらしなくくつろぎながら、敏感になっている鼻腔をこれでもかと刺激されていては、まともな返事も返せないというものだ。  今、鍋の中で煮込まれているのは、ひき肉たっぷりのロールキャベツだ。  昼休み、突然結衣子のロールキャベツが食べたくなり、ごちそうになるだけでは申し訳ないと、キャベツを抱えて彼女の部屋にやってきた。 「青野くん、相変わらずだった?」  背中を向けた格好で結衣子が聞いた。 「うん」 「送ってもらってそのあとは?」 「しゃべってた」 「だけ?」 「うん」  私が答えると、さっとこちらに振り向いた。その表情からは、言わんとしていることが見事に読み取れる。ただ、決して私の勘が鋭いのではない。結衣子のテレパシー的なものの威力がすごいのだ。  ──さっきから適当な相づち打ってんじゃないわよ!  彼女の目がすっと細められる。  ──ロールキャベツ、食べたくないの!?  今度は顎を突き出した。 「た、食べたいです……」  言ってから、そろそろと上体を起こした。  「でしょうね」、とでも言いたげに両方の眉をぐっと上げた。そして、大げさに髪を振り乱しながら再び私に背中を向ける。 「……あの、結衣ちゃん。私にお手伝いできることがあればなんでも言ってね」  伺いを立てるように言う。 「それじゃあ──」  その続きを言われるよりも先に返事をしながら台所へ行く。 「りおちゃんこれ運んでくれる?」  「喜んで!」、とは言わない代わりにとびきりの笑顔を向ける。  お皿に盛られた熱々のロールキャベツに顔を近づけて思い切り深呼吸をする。 「結衣ちゃん天才!」  そう言うと、台所で彼女が笑った。  一口食べるなり、笑みがこぼれて仕方なかった。私の抱えてきたキャベツがこんなにも美味しくなるのなら、毎日でもここへ運んできたいくらいだ。 「じゃあ、久しぶりに青野くんと話してみてどうだったの?」  口を動かしながら頭を働かせるのは私にはなかなか難しい。  ロールキャベツを胃袋へ流し込み、それから改めて考える。 「えっとねぇ。普通だった」 「普通……」 「うん。何て言うか、付き合ってた時と変わんないっていうか、特別変わったことはなかったよ。それより結衣ちゃん、今日のロールキャベツも最高に美味しいね」 「それは、ありがとう。それより、また会おうとかならなかったの?」 「また食事に行こうって連絡きた」 「そっか、もちろん行くって言ったでしょ?」 「うん。結衣ちゃん、やっぱりひき肉いっぱい入ってる方が美味しいね」  幸せと言わんばかりの顔を彼女に向ける。
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