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カーネーション
毎年のことながら、母の日を過ぎると一気にカーネーションの需要が低くなる。その花言葉も関係してか、まるで、一過性の愛情のように誰にも気付かれずにフェードアウトしていく姿を、なんだか他人事には思えなかった。
「こんな言い方あれかもしれないけど、今さらそんなこと言ったって仕方ないじゃない。反省してるんなら、それを次に生かせればいいんだから、ね?」
本当に仕方がなさそうに言う伊勢崎さんに、勢いだけで納得しそうになる。
客足が途切れ、青野くんとのことを大まかに伊勢崎さんに相談すると、いつもの楽天的な口調でそう言われたのだ。
「誰だってさ、そうやって経験していくんだから。分からないことが分からないのは当たり前でしょ? やっぱり若いっていいわね、うらやましいわ」
そう言って優しく微笑んだ。
「その彼とはいつ食事に行くの?」
その彼とは青野くんのことだ。
「まだ、予定はないです」
「誘われてないってこと?」
「ええ、まぁ……」
私が答えると、伊勢崎さんの手元が一瞬だけ止まった。
「こっちから誘っちゃえばいいじゃない。今のところ特別なことがあるわけでもないんだから。とりあえず、何かしらの行動に出ないと、それこそ分からないことが分からないままなんだから。それって何て言うか、気持ち悪いじゃない? だから、今すぐ連絡しておいで」
そう言った顔は優しいのに、その言葉は有無を言わせないと言ったように聞こえる。瞬間でも、伊勢崎さんが結衣子に見えて二度見しそうになった。
そして、動かない私を見てなのか、伊勢崎さんはスタッフルームを指差した。どうやら、彼女の言う今すぐは、本当に今すぐらしい。
「ついでに休憩してきちゃって」
こういう時でも、いつも通りの言い方だ。それに対して、今日ばかりは苦笑いで返す。
ロッカーからスマホを取り出し、大きく息をつく。
「今休憩中で、青野くん何してるかなぁなんて思って」
とりあえずはそれだけを送った。とてもではないけれど、「ご飯でもどう?」とは言えなかった。すると、タイミングが良かったのかすぐに返事が返ってきた。
「ちょうど今撮影が一区切りついたとこ。りおから連絡くれて嬉しいよ」
嬉しいと言われ、あれこれと考えすぎていた頭が少しだけ軽くなった気がした。
鼻から短く息を吐く。今はもう、これだけで十分に思えた。
そしてまた、すぐに青野くんからメッセージが届いた。
「今日、夕方くらいには仕事終わりそうなんだけど、良かったらその後食事でも行かない?」
それを見て、またまた両手を合わせたくなる。
私の言わんとしようとしていることを、簡単に、しかもものすごく自然に言ってしまう彼に、心の中でありがとうと呟く。やはり、青野くんは仏様だ。
「うん、私も同じこと考えてた。それじゃあ、仕事が終わったら連絡するね」
懐かしいこのやり取りに、気持ちがどんどん落ち着いていく。
早めに休憩を切り上げ、早々に伊勢崎さんに報告をする。もちろん彼の方から誘われたのだと正直に言うと、なんだかとても嬉しそうにしていた。その笑顔のまま、「今日は早めに上がっていいからね」とまで言ってくれた。
──ありがとう姉さん!
とは決して口には出さないけれど、勢いで言いそうになった。
いつの間にか、青野くんに会うことを楽しみに思い、いつもより仕事が早く片付いていく。とは言え仕事量は相変わらず伊勢崎さんの半分以下ではあるけれど、それでも私の中では倍速に動いているつもりだった。
「お疲れ様です」
言うなり満面の笑みで見送ってくれた伊勢崎さんに、負けないくらいの笑顔を返す。
食事をするお店をどこにしようか考えながら、とりあえず駅に向かう。あまりきちんとしているようなお店では、気を遣って疲れてしまいそうだし、お酒も飲めるカフェのようなお店では、きっと青野くんはお腹いっぱいにはならないだろうし、かと言って牛丼屋さんではお互いに苦笑いで終わるだろう。
付き合っていた時からそうだったけれど、食事をするお店や、デートの場所などは、だいたいいつも青野くんが決めてくれていた。だから今日くらいはと、色々悩んだ結果、何度も行ったことはあるけれど、未だに店名を知らない、通称『飛行機』にした。ちなみに結衣子の行き付けのお店だ。
確か青野くんも、ここに来はたことがあるはずだ。
時間よりも早く着き、お店の前で待っていると、数分もしないうちに彼がやって来た。
タイトめな濃いジーンズに、大きめの白のティーシャツ。ものすごくシンプルなのに、ものすごく彼に似合っている。
「お疲れ様」
私がそう言うと、大股でこちらに近づき「お疲れ」と言った。
「中で待ってれば良かったのに」
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