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電車で帰る結衣子を駅前で見送ったあと、いつものように結衣子にメッセージを送る。
「今日も楽しかったぁ。本当の本当にありがとね、また遊ぼう」
すると、数秒もしないうちに返事が返ってきた。
「私も楽しかったよ。デートの報告待ってるね」
メッセージを読み終え、スマホをかばんに入れようとした途端、新しいメッセージが届いた。
「翔太も一応男だってこと忘れないように! 楽しんで」
結衣子らしいそれに、ふっと笑みがこぼれる。
駅のトイレに向かい、鏡の前で軽く化粧を直す。お気に入りのリップを塗りながら、顔がにやけて仕方なかった。
駅前でも少し開けた場所で待っていると、こちらに向かって歩いてくるスーツ姿の翔太くんを見つけた。それだけで、途端に鼓動が早くなる。
男性のスーツ姿はある意味反則だと思う。もちろん、誰でも彼でもと言うわけではなく、好きな人だと普段の二割増しで素敵に見えてしまうのは私だけだろうか。
「お疲れ」
爽やかな笑顔と共に片手を上げた彼は、濃紺のスーツがよく似合っている。
「お疲れ様。日曜日に仕事だったの?」
言いながらスーツに目を向ける。
「仕事ってほどでもないんだけど、会社に行ってたから、一応ね。それから、突然ごめんね、何て言うか急に、連絡してみようかなぁて思ってさ」
「全然そんな、誘ってくれて嬉しかったよ」
「本当? 良かった、そう言ってくれて。それじゃあどっかお店に入ろっか」
駅前を歩きながら、居酒屋でもいいかと聞かれてもちろんだと答えた。お洒落なレストランよりも、返ってそちらの方が気が楽で良かった。
彼が選んだその居酒屋は、街でよく見かけるチェーン店で、以前結衣子とも来たことのあるところだった。オレンジ色の照明で照らされている店内は、明るすぎず、暗すぎず、恋人ではない異性と食事をするにはちょうど良いと改めて思った。
運良く個室に案内をしてもらうことができ、向かい合ってそこに座った。
「俺はとりあえずビールかな、片島さんは何飲む?」
「それじゃあ私は甘い系のお酒でもいいかな?」
「全然いいよ、何でわざわざそんなこと聞くの?」
「何て言うか、子供みたい、とか言われる前に……」
彼は、「ええ?」と言って笑うけれど、それだけだった。
お互いの飲み物を注文したあと、女性の店員が出て行くなり、
「子供みたいだね」
あからさまにからかっている口調で彼が言った。
「翔太くんの意地悪……」
軽く彼を睨むと、たばこに火を点けながら笑っている。
「冗談だよ。出かけてたの?」
横に置いていたショップバッグに目をやりながらそう聞いてきた。
「ああ、うん。友達と買い物してて、さっきまでカフェにいたの」
「え、なんか俺タイミング悪かった?」
たばこを持つ手が瞬間止まった。
「ううん。私よりも友達の方が行っておいでって言ってくれて、それで」
「そっか、良かった」
たれ目がちな彼の笑顔に、また、胸が締めつけられた。
「本当はもうちょっと早く食事にでも誘いたかったんだけど、仕事が忙しくてさ。今ようやく落ち着いてきて、不意に片島さんに連絡してみようって思って。突然でごめんね」
「ううん全然。お疲れ様。誘ってくれて嬉しかったよ、もう会えないのかなぁなんて思ってたから」
言った途端恥ずかしくなる。それを隠すようにグラスで顔を隠しながら乾杯をした。
生ビールを飲む彼の喉元に、思わず目がいく。
「片島さんてさ──」
一瞬遅れて返事をする。
「本当に昔から変わらないよね」
「え、そうかな?」
確認するようにゆっくりと聞き返す。
「うん。だから何て言うか、一緒にいて落ち着く」
言い終わると同時に、残りの生ビールを一気に流し込んだ。
「同じの注文する?」
そう聞くと、間の抜けたような顔を向けられ、そのあとでくすくすと笑いだした。
「え、なんで笑ってるの?」
「いや、別に何でもないよ」
「嘘だ、今絶対私のこと笑ったもん!」
笑ってごまかすとはこのことで、何度聞き返しても『何でもない』の一点張りだった。
「別にいいもん」
わざと拗ねたように言ってから、彼と同じように甘いカクテルを一気に飲み干した。すると、私の口真似をしているのか、ふざけた調子で「同じの注文する?」と聞かれた。
結局理由を教えてくれないまま二杯目のお酒を注文した。それと一緒に、この店の名物のだし巻き玉子が運ばれてきた。
「私これ大好きなんだ」
一瞬で意識が目の前のだし巻き玉子に移る。
嬉しくて思わず体を横に揺らした。
彼はくすっと笑うなり、「全部食べていいよ」と言った。
「え、いいの!?」
「え? マジで全部食べちゃうの?」
「翔太くんも食べたいの?」
「うん」
声が笑っている。
「じゃあ半分あげるね」
言いながら、取り皿にだし巻き玉子を半分以上を乗せ、それを彼の前に差し出す。「ありがとう」と言った彼は、頬を緩ませると、何か言いたげな表情で割り箸を丁寧に割った。
「片島さんてさ、やっぱ面白いよね」
「私が? 面白い?」
「言われない?」
そう聞かれ、目だけを天井に向けて考えてみるけれど、あまりピンとくるところがなかった。
「俺は一緒にいて楽しいって思うよ」
「それって──」
ずいっと体を前に倒し、真正面で翔太くんの顔を見つめる。彼の眉がぴくりと動いた。
「私のことバカにしてるでしょ?」
「え、なんでそうなるの?」
「なんでそうなるの? じゃないよ!」
彼の口真似をして言った。
「でもまぁ、翔太くんが楽しいならいっか」
「乾杯!」と言いながら、テーブルの上に置いてあるビールジョッキに、自分の持っているグラスを小さく当てた。
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