エーデルワイス

5/7
前へ
/132ページ
次へ
「普通、天使は引き止めるから! だめなことをだめって言うのが天使でしょうよ!  それなのに、なんでりおの天使はあんたをそそのかしてんのよ! そいつ、今すぐ連れてきなさいっ!」  言いながら、正面から私をにらんでいる。大きすぎる手振りが、今にも目の前のグラスをひっくり返しそうだった。 「そこかよ!?」  すかさずそう言ったのは和仁様だ。 「りお、悪さをするように囁くのは悪魔なの。で、それを止めるのが天使。あんたの中の天使と悪魔はそれが反対、だからこんなことになるんだよ! 分かる? 分かったら返事!」 「は、はい!」  分かるとか分からないとか、もうほとんど勢いだった。私が返事をした直後、和仁様は声を上げて笑だした。結衣子と二人して彼に目を向ける。私もそうだけれど、たぶん結衣子も、どうして笑っているのかが分からないのだろう。そんな私たちに気付くと、 「解決した?」  笑いを含んだままの声でそう聞いた。結衣子と顔を合わせ、そうなのかと目だけで問いかける。 「まぁ、解決したと言えばしたかもね。とにかく、しっかりしてよ、ね?」 「……うん、ごめんね、結衣ちゃん。それと、ありがと。和仁様も、ありがとうございます」  二人の微笑む顔に、ようやくほっとした。 「それじゃあ、飲み直そっか?」  仕切り直すように和仁様が空気を変えた。 「二人とも、大好きです……」  グラスの中に呟くように言った。  甘さが口の中に広がり、そのあとすぐ、アルコールが体中を心地良くしてくれる。 「──もうすぐ春樹来るってさ」  「えっ」、という口のままで固まってしまったのは、結衣子も同じだった。 「……和仁様?」 「ここ来る前に連絡してたんだけど、いいよね? 二人も仲直りしたわけだし」  私と結衣子を順番に見ながらそう言った。 「私たち、別にケンカをしてたわけじゃないんですけどね……」  独り言のような言い方になる。 「いいじゃん。だって、りおがここにいるの知ってるんでしょ?」  結衣子がそう言うと、和仁様はうなずいて答えた。 「青野くんのこと、どんな人なのかそこまで深くは知らなかったけど、何て言うか。打たれ強いって言うか、健気って言うか、純粋って言うか。私、青野くんのこと応援したくなっちゃったな」 「確かに、俺もちょっと驚いたし」 「りお、さっき言ったこと忘れてないよね? 思わせぶりな態度は私が許さないから」 「……分かってるよ」 「聞こえない!」 「分かってます!」  同じくらいの大きな声で答えると、顎を突き出して得意げな顔を私に向けた。そんな結衣子がおかしくて笑うけれど、本当は、少し緊張していた。  青野くんから和仁様に連絡がきてから、数十分も経たないうちに店に彼がやってきた。それも、なんだか楽しそうな友達も一緒にだ。たぶん、もうすでに飲んできているのだろう。二人とも、顔が真っ赤になっている。 「連れて来ちゃった」  そう言った青野くんは、見た通り楽しそうだ。 「二人で飲んでたの?」  和仁様が聞いた。 「一杯だけ」  分かりやすい嘘に、空気がふっと和む。 「こちら、カメラマンの村本(むらもと)さん。で、こっちが友達の和仁で、隣が彼女の結衣子ちゃん、それからこっちがりお。今日はさ、村本さんと仕事するの久しぶりで、嬉しくてテンション上がっちゃってさ、仕事終わりにそのままちょっと飲んでたんだよね」  村本さんが私の隣に座り、その隣に青野くんが座った。  この座り位置に、正直ほっとした。 「急におじゃまして、大丈夫でした?」  村本さんが言った。 「何言ってるんですか、青野くんの友達は、私の友達ですから。とりあえず乾杯しません?」  それぞれの飲み物を注文し終わると、結衣子はすぐに村本さんに向き直った。 「村本さんはカメラマンのお仕事されてどれくらいなんですか?」  興味津々と言った表情が、まるで子供みたいだ。 「七、八年くらいかな」 「モデルさんを撮ることが多いんですか?」  楽しそうな結衣子に、思わず頬が緩む。 「あとはタレントとか、たまにスポーツ選手も撮ったりするかな」  彼のしっかりとした口調が、なんだか耳に心地良い。 「じゃあ私、いつでも被写体になるんでよろしくお願いします。ヌードは無理ですけど、セミヌードくらいならなんとかいけます!」  本気か冗談か分かりづらい顔だ。 「俺が彼氏に怒られるやろ!」  同意を求めるように村本さんが和仁様に目配せをするけれど、当の本人は口元に厭らしい笑みを浮かべている。 「俺、結衣子のセミヌード見てみたい」  和仁様の予想通りの答えに、「ユーハブ」、心の中で呟いてから、大げさになりすぎないのうに親指を立てた。彼も、同じようにそうしている。  結衣子のおかげなのか、村本さんのおかげなのか、和やかに時間が過ぎていった。青野くんとも、一言、二言の会話をした。  何もなかったかのような、いつも通りの時間に思えたくらいだ。
/132ページ

最初のコメントを投稿しよう!

302人が本棚に入れています
本棚に追加