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「普通、天使は引き止めるから! だめなことをだめって言うのが天使でしょうよ! それなのに、なんでりおの天使はあんたをそそのかしてんのよ! そいつ、今すぐ連れてきなさいっ!」
言いながら、正面から私をにらんでいる。大きすぎる手振りが、今にも目の前のグラスをひっくり返しそうだった。
「そこかよ!?」
すかさずそう言ったのは和仁様だ。
「りお、悪さをするように囁くのは悪魔なの。で、それを止めるのが天使。あんたの中の天使と悪魔はそれが反対、だからこんなことになるんだよ! 分かる? 分かったら返事!」
「は、はい!」
分かるとか分からないとか、もうほとんど勢いだった。私が返事をした直後、和仁様は声を上げて笑だした。結衣子と二人して彼に目を向ける。私もそうだけれど、たぶん結衣子も、どうして笑っているのかが分からないのだろう。そんな私たちに気付くと、
「解決した?」
笑いを含んだままの声でそう聞いた。結衣子と顔を合わせ、そうなのかと目だけで問いかける。
「まぁ、解決したと言えばしたかもね。とにかく、しっかりしてよ、ね?」
「……うん、ごめんね、結衣ちゃん。それと、ありがと。和仁様も、ありがとうございます」
二人の微笑む顔に、ようやくほっとした。
「それじゃあ、飲み直そっか?」
仕切り直すように和仁様が空気を変えた。
「二人とも、大好きです……」
グラスの中に呟くように言った。
甘さが口の中に広がり、そのあとすぐ、アルコールが体中を心地良くしてくれる。
「──もうすぐ春樹来るってさ」
「えっ」、という口のままで固まってしまったのは、結衣子も同じだった。
「……和仁様?」
「ここ来る前に連絡してたんだけど、いいよね? 二人も仲直りしたわけだし」
私と結衣子を順番に見ながらそう言った。
「私たち、別にケンカをしてたわけじゃないんですけどね……」
独り言のような言い方になる。
「いいじゃん。だって、りおがここにいるの知ってるんでしょ?」
結衣子がそう言うと、和仁様はうなずいて答えた。
「青野くんのこと、どんな人なのかそこまで深くは知らなかったけど、何て言うか。打たれ強いって言うか、健気って言うか、純粋って言うか。私、青野くんのこと応援したくなっちゃったな」
「確かに、俺もちょっと驚いたし」
「りお、さっき言ったこと忘れてないよね? 思わせぶりな態度は私が許さないから」
「……分かってるよ」
「聞こえない!」
「分かってます!」
同じくらいの大きな声で答えると、顎を突き出して得意げな顔を私に向けた。そんな結衣子がおかしくて笑うけれど、本当は、少し緊張していた。
青野くんから和仁様に連絡がきてから、数十分も経たないうちに店に彼がやってきた。それも、なんだか楽しそうな友達も一緒にだ。たぶん、もうすでに飲んできているのだろう。二人とも、顔が真っ赤になっている。
「連れて来ちゃった」
そう言った青野くんは、見た通り楽しそうだ。
「二人で飲んでたの?」
和仁様が聞いた。
「一杯だけ」
分かりやすい嘘に、空気がふっと和む。
「こちら、カメラマンの村本さん。で、こっちが友達の和仁で、隣が彼女の結衣子ちゃん、それからこっちがりお。今日はさ、村本さんと仕事するの久しぶりで、嬉しくてテンション上がっちゃってさ、仕事終わりにそのままちょっと飲んでたんだよね」
村本さんが私の隣に座り、その隣に青野くんが座った。
この座り位置に、正直ほっとした。
「急におじゃまして、大丈夫でした?」
村本さんが言った。
「何言ってるんですか、青野くんの友達は、私の友達ですから。とりあえず乾杯しません?」
それぞれの飲み物を注文し終わると、結衣子はすぐに村本さんに向き直った。
「村本さんはカメラマンのお仕事されてどれくらいなんですか?」
興味津々と言った表情が、まるで子供みたいだ。
「七、八年くらいかな」
「モデルさんを撮ることが多いんですか?」
楽しそうな結衣子に、思わず頬が緩む。
「あとはタレントとか、たまにスポーツ選手も撮ったりするかな」
彼のしっかりとした口調が、なんだか耳に心地良い。
「じゃあ私、いつでも被写体になるんでよろしくお願いします。ヌードは無理ですけど、セミヌードくらいならなんとかいけます!」
本気か冗談か分かりづらい顔だ。
「俺が彼氏に怒られるやろ!」
同意を求めるように村本さんが和仁様に目配せをするけれど、当の本人は口元に厭らしい笑みを浮かべている。
「俺、結衣子のセミヌード見てみたい」
和仁様の予想通りの答えに、「ユーハブ」、心の中で呟いてから、大げさになりすぎないのうに親指を立てた。彼も、同じようにそうしている。
結衣子のおかげなのか、村本さんのおかげなのか、和やかに時間が過ぎていった。青野くんとも、一言、二言の会話をした。
何もなかったかのような、いつも通りの時間に思えたくらいだ。
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