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「何してんねん」
手の甲の血管をプニプニと指先でつつく。
「そろそろ切れそうです」
「あほか」
「それは、否定はできませんけど……」
「お前ってさ」
灰皿に灰を落としながら言った。
「ほんまにあほなんやろな」
「あの、真顔で言うのやめてもらっていいですか?」
「それと──」
村本さんは私を無視して続けた。
「男がほっとかへんタイプなんやろな」
首をかしげて彼を見る。一瞬目が合ったものの、あからさまに目をそらされた。
「あの、私今バカにされてます?」
そう言うと、おどけた顔をして首を横に振るものだから、バカにしていると言っているようなものだと思った。
鼻の頭にしわを寄せ、正面から嫌な顔をしてみせた。たばこをくわえたままで笑うけれど、急に真面目な顔つきに変わる。
「ただ、もっと知りたくなった。りおちゃんのこと」
今度はばっちりと目が合った。彼の目が、次第に細められていく。
「私、そんな大した人間じゃないですよ」
村本さんが低く唸った。
「そういう意味とは、違うねんけどな……」
ぼそぼそと言った彼の声が、後ろの男性の笑い声に混じる。
「え?今なんて言いました?」
「いや、まぁ、何て言うか。りおちゃんと、また二人で飯とか来れたら楽しいかなって」
「本当ですか? 私なんかで良ければ、いつでも誘って下さい」
私が微笑むと、彼も同じように微笑み返してくれた。それだけのことなのに、パズルのピースがぴたりとはまるような、ものすごくしっくりする感じがした。
帰り際、店を出る前に村本さんと電話番号を交換した。どちらからともなく、ものすごく自然にそうしていた。
いつの間にか終電は終わり、夜の街は昼間とは全く別の顔になっていた。
時折強めに吹く風が、この時期にしては珍しく涼やかで、火照った体に心地良い。できれば、サンダルを脱いで素足で歩きたいくらいだ。
いつもより飲み過ぎたとは思っていたけれど、不思議と足元はしゃんとしていた。それよりも、いつも以上に人肌が恋しくて、いつの間にか胸の奥の方でモヤモヤがくすぶっていた。
「あの、明日のお仕事大丈夫ですか?」
今さらと思いながらも、時間が時間なだけに心配になった。
「明日は午後から、って言うかほとんど夕方やな。りおちゃんは? 休みなん?」
「はい、お休みです。だからいっぱい飲んじゃいました。本当に楽しかったです。村本さんのおかげですよ。ありがとうございます」
「何言うてんねん、楽しかったんは俺もやで。二軒目まで付き合ってくれて、俺の方こそありがとうな。それに、りおちゃんとも出会えたし、ほんまにめっちゃ楽しかったわ」
ハザードランプを点滅させたタクシーが私たちの前に止まった。それも、村本さんが一度手を上げただけですんなりとつかまったのだ。もしも彼との次があるのなら、タクシーに限っては始めから彼にお任せしよう。
後部座席のドアが開き、「どうぞ」とでも言うように私の背中に手を添えた。
彼も乗り込むのかと思いきや、「気をつけてな」、ドアに手をかけ、私に目線を合わせるように体をかがめた。
思わず、こぼれそうになる。
ピンク色の何かがこぼれそうになり、ギリギリのところで両手で受け止める。
「……村本さんも、気をつけて下さいね」
「ん、おやすみ」
彼の右手が、私の頭の上で柔らかく動いた。
受け止めたはずのピンク色が、するりと指の隙間からこぼれた。
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