ガーベラ

6/8
前へ
/132ページ
次へ
 ソファーから起き上がり、姿勢を正した。 「しょ、翔太くんてさ、飲むといつもあんな感じなの?」  普通に聞こえるように、ものすごく普通のことを聞く。 「いや、あそこまでなったのは久しぶりかも。それより俺、片島さんに迷惑とかかけなかった? 何て言うか、変なこと言ったりとか、してなかった?」  本当に覚えていないのか、それとも私を試しているのか、どんどん疑い深くなっていく。もしもシリーズが私をこんなにも疑心暗鬼にさせるとは、恐るべし、もしもシリーズ。  探り合うような空気の中、努めて明るく振る舞うようにした。 「もう飲めないよぉってずっと言ってた」  翔太くんの口真似をしてみせる。 「もしかしてそれ、俺の真似?」 「そう、似てたでしょ?」  言うなり二人して笑った。 「なんか俺、格好悪いところ見せちゃったよね」 「あとね、駄々こねるから靴下も脱がせてあげたよ」  駄々はこねていないけれど、靴下を脱がせたのは間違いではない。ついつい楽しくなって思わず調子に乗ってしまった。 「色々ごめん。やっぱり迷惑かけたよね」 「ううん。ちゃんと一人で歩いてたし、全然大丈夫だったから」 「そう言ってくれると、助かる」  電話越しにふっと笑う。探り合うように思えたそれは、私の考えすぎだったのかもしれないと思った。 「俺……」  微妙な間に、鼓動が大きく跳ねた。 「いや、ううん、なんでもない。また、ご飯誘ってもいいかな?」 「うん、もちろん」  一瞬言葉に詰まりそうになった。  見えないけれど、微笑んでいるのが分かる。 「それじゃあまた、連絡する」  柔らかくて優しい声。  私はこの声に胸が締めつけられたんだと、忘れていたことを思い出すように、体に、心に言い聞かせる。  彼の「おやすみ」が心地良く耳に残る。  私のもしもシリーズは、たぶん、成功だ。  ブリキの花筒いっぱいに入ったピンク色のガーベラを、モヤモヤとした気持ちで眺める。季節の商品はやはり人気で、このガーベラも例外ではない。  大学三回生の秋、人並みに就職活動をし、たくさん面接も受け、どこだったかの企業から内定をもらうこともできた。けれど、なんとなく違う気がして、その内定を蹴って今の花屋に就職した。理由は単純で、たまたま今働いている店の前を通った時、ピンときたのだ。可愛い花に囲まれて過ごす毎日は、きっと悪くない、と。 「りおちゃんぼおっとしないの!」  開店早々、店長の伊勢崎(いせさき)さんに注意されてはっとなって我に返る。 「すみません! 綺麗だったので、つい……」  半分は本当、半分は口から出まかせだ。  あのあと何度か翔太くんに誘われて食事に行った。あれ以来彼は、飲み方に気を付けているらしい。  誘われて、待ち合わせをして、食事をして、駅まで送ってもらう。誘われて、待ち合わせをして、食事をして、駅まで送ってもらう。誘われて、待ち合わせをして、食事をして、駅まで送ってもらう。  この繰り返しを、翔太くんはいったいどう思っているのだろうか。 「それってどうなの?」  手元の作業を止めることなく伊勢崎さんが言った。  伊勢崎さんには翔太くんとのことをこれまでにも何度か相談させてもらっていて、仕事の合間にぽろりと彼の話をするなり開口一番にそう言われたのだ。それも、あまりいいとは言えない口調でだ。 「どう、とは?」 「何回もご飯行ってて、しかも二人きりで。確かに楽しいのは分かるけど、翔太くんはどうしてそれ以上の関係を求めようとしないのかな? 本当に好きだって言われたの? りおちゃんの聞き間違いなんじゃない?」 「聞き間違いという発想は、なかったかも、です……」  伊勢崎さんのため息が聞こえる。 「そもそもりおちゃんは翔太くんのことが好きなの?」 「た、たぶん……」 「たぶんて。それって絶対に雰囲気に飲まれてるだけじゃない。でもまぁ、若いってことよね、ある意味うらやましい」  わざわざ表情を作って言っている。 「とにもかくにも、勢いだけで恋に突っ走れるのも今のうちなんだから、思う存分楽しんだらいいんじゃない」  全く解決したとは思えないけれど、伊勢崎さんの楽天的とも言える考え方が私にはちょうど良かった。  仕事は仕事でめちゃくちゃ尊敬している。先程の楽天的な発言をした人とは思えないほどで、どちらかと言うと正反対だ。慎重に、けれど時には大胆で、的確に、私の三倍は仕事のできる人だ。年齢は倍近く離れているけれど、個人的に、姉のようだと思って慕っている。  例のもしもシリーズから一ヶ月近くが経ち、そろそろ結衣子の我慢も限界に達しようとしていた頃、いつもと変わらないメッセージが翔太くんから届いた。 「今晩、ご飯でも行かない?」  もちろん嬉しいことに間違いないのだけれど、慣れと言うものは怖いもので、初めて誘われた時の感動はすでに薄らいでいた。  何も進展のないことに、何も感じなくなっている自分がいた。これでは本当にただの友達で、今以上でも以下でもない関係が続くだけのように思えて仕方がない。ただ、どうしてもあきらめきれないのは、あの日翔太くんに言われた「好き」がずっと引っかかっているからだった。彼のその一言にしがみついているだけなのか、本当に彼が気になっているのか、自分の気持ちが不透明で、伊勢崎さんに聞かれても答えようがなかった。だから、 特に可愛げのある返事もできないでいた。 「一度断ってみたら?」  翔太くんに返事をする前に結衣子に電話をし、相談というほどではないにしろ、分からないなりにその分からないを伝えると、いつもとは違った答えが返ってきたのだ。
/132ページ

最初のコメントを投稿しよう!

300人が本棚に入れています
本棚に追加