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 しばらく話をして、コーヒーがなくなった頃に西嶋がそろそろ、と言ったので時計を見ると間もなく6時になろうとしていた。話に夢中になり気がつかなかったが、窓からは西陽が差し込んでいる。窓の外をぼんやりと見ている間に、西嶋が軽く挨拶をして部屋を出て行った。 「ご飯を食べていく?」 「いえ、今日は久しぶりに母がご飯を作るそうなので帰ります」 「奥様はこちらにお帰りになっているのですか?イギリスに行かれたと伺っておりましたが」 「会議があるとかで一旦は向こうに行ったのだけど、蜻蛉返りで昨日の夜遅くに帰ってきて、また明日には向こうに戻るそうだ」  朝起きたら母親が台所に立っていて、和泉はえらく驚いた。忙しい仕事の合間と思えば申し訳ない気がしたが、やはり嬉しくもあった。 「忙しいのねえ。こんな時くらいゆっくりしたらいいのに」 「忙しく飛び回るのが好きな人ですから」 「今度またお料理を教えてあげるから遊びに来るように言ってちょうだい」 「それは喜ぶと思います」  下手というほどではないけれど、料理が得意ではない母親は喜ぶだろうなと少し頬を緩めた和泉を、八千代が覗き込んだ。 「記憶はまだ戻らないの?」 「……はい」  入院中に見舞いに来てくれた齋藤に、西嶋の記憶だけが抜け落ちていることは話していた。もどかしさもあって暗い顔をしたのだと思う。表情を曇らせた和泉の手に、小さな手が重なる。それは年をとって乾いているけれどとても温かな手だった。 「ごめんなさい、余計なことを言ったわね」 「いえ」 「仕方ないことなのだから、あまり気に病まないで」 「けれど、どうしても」  一旦言葉を切った和泉の手を優しく撫でてくれる。気遣ってくれる優しさに鼻の奥がつんとして、慌てて呑み込んだ。少しだけ落ち着いてから言葉を継ぐ。 「申し訳、なくて」  いまだ西嶋の記憶は戻らなかった。もしかして寝て起きたら記憶が戻っているのではないかと期待するけれど、その気配はない。その間も西嶋は己の仕事を完璧にこなしていて、心苦しくなる。罪悪感に謝りそうになるたびに、それを見越したように話を逸らす彼にどう接すればいいのか分からなかった。 「私ども使用人にとって」  齋藤の言葉に顔を上げる。和泉の小さい頃に比べれば、ずいぶん歳を取ったと思う。以前のような機敏さはなくなっているけれど、それでも齋藤の所作はいまだに執事のそれだった。洗練されて美しい。 「主人の身の回りの世話をするのは当然のことです。ですから主人である貴方があれを気にかける必要はございません。もちろん、お気遣いいただけるのは使用人といえども嬉しいことです。特にお優しい貴方のことですから、今の状態はさぞ気懸りでしょう。けれど、私どもにとって主人に必要とされることこそが無類の幸せ。少なくとも私や……西嶋にとっては」  齋藤が優しい顔で和泉を見た。我慢していたのに結局、少しだけ涙が滲んだ。 「だからあなたは何も気になさらずにどうかあれのことを、」
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