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「本当によかった」  齋藤に迎えられて部屋に通されると、和泉を見た八千代は目をきらきらと涙ぐませた。足が悪い彼女のためにそばまで寄ると、小柄な和泉よりもさらに小さな体で抱きしめられた。 「ご心配をおかけしました」 「いいのよ、元気そうでよかった」  そう言って涙を目尻にためたまま彼女は笑った。  幼い頃からそばにいた齋藤は、和泉にとってほとんど家族に近かった。父親の両親はとうに鬼籍に入っていてあまり記憶にない。母方の祖父母は健在だが、海外で悠々自適の生活を送っているため滅多に会うことはなかったので、齋藤とそのご内儀である八千代は祖父母のようなものだった。 「最近はお勉強に忙しくてなかなか顔を見られなかったでしょう。前に会ったのが最後になったらどうしようかと思ったわ」 「本当にごめんなさい」 「こんなおばあちゃんより先に逝ってしまっては絶対にだめですよ」 「はい」  家族以外でこれほど心配してくれることが嬉しい。和泉は素直に頷いた。 「ところであの人はどうしたのかしら。コーヒーを淹れてくるって言っていたけど」  そういえば、と振り返ると後ろからついてきていたはずの西嶋もいない。様子を見に行こうと腰を浮かせたところで襖が開き、齋藤と、こちらはわずかに眉間にしわを寄せた西嶋が入ってきた。そんな顔はこの数日で初めて見るもので、和泉は内心に驚いた。 「あら、また主人がお説教でもしたかしら」 「いえ、とんでもございません」  表情を緩めた西嶋は、二人の前にコーヒーカップとソーサーを置きながら言った。 「説教なんてものではないよ。当然のことを言ったまでですから。もっとしっかりしてくださいと」 「それをお説教というのよ」  つれあいにはとことん弱い齋藤が困った顔で笑う。齋藤が妻のために職を退きたいと言った時、和泉は当然のことだと思った。齋藤がご内儀をとても大切にしているのを知っていたし、少し前から体を悪くしていた彼女の世話をしながら仕事はできないだろうと思ったからだ。だからいなくなるのは寂しいことではあったが、引き止めるつもりはなかった。齋藤が自分の代わりを探すと言った時も、別に必要ないと断ったのだ。しかし齋藤は絶対に引くことはなかった。  そうして後任に収まったのが西嶋だという。 「息子たちにもお説教ばっかりで。ほんと年をとるって嫌よねえ」  和泉の斜め後ろ、控えめに座った西嶋が苦笑をこぼす。 「今回のことは本当に私が悪かったので」 「けれどあなたのおかげでこうして和泉くんは無事だったわけでしょう?」 「無事でなければ困ります。大事であれば説教ではすみません」  齋藤が言えば、西嶋が苦い顔をした。  例え他の使用人たちが失敗したとしても、齋藤は叱ったり声を荒げることなど決してなかった。少なくとも他の使用人たちは叱られたことなどないと言っていた。だからこんなふうに誰かに嫌味を言う齋藤を見るのは初めてで、穏やかで感情の起伏を表に出さない使用人の鑑のような男だったから意外だった。  それでも二人の間には険悪な雰囲気はなく、むしろ砕けた調子だったから二人はずいぶん親しいのだと思った。
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