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どれぐらいそうしていたのだろう?
気がつくと木漏れ日はとうに消え、オレンジ色の灯りが部屋に灯っていた。
窓の外を見ると、恐怖心さえ覚えるほどの暗闇に蛍の光が舞っていた。
今までに見たことがないほどの“黒”だった。
自然界には完全な黒色と白色は存在しないと言われているのだけれど、この暗闇の色は完全に真っ黒に見える。
どこがどうと言われると言葉に詰まってしまうのだけれど、そこだけ異様に“黒”が強調されているような違和感があった。
ふわふわと舞う蛍の光がより一層、闇を際立たせている。
「お目覚めになられましたか」
ハッとして横を見ると、例のウエイターが気配なく立っていた。
なぜだろう?
暖かい光の中で見た彼の笑顔はとても上品に思えたのに、今は背筋がゾクゾクとしてしまう。
ーー怖い。
全身に鳥肌が立つ。
「私、帰らないと」
「どちらへ?」
「え……?」
自分の家に?
現実世界に?
相変わらず記憶があやふやだった。
どこに、と聞かれても、はっきりと戻るべき場所を思い浮かべられなかった。
絵画や絵を描く道具などがフラッシュバックして、次々に頭の中に浮かぶのだけれど、どれ靄がかかったようにはっきりとしない。
そういえばここは夢の中だというのに、やけに色が鮮明なことに今さら気づく。
カラーの夢を見る人もいるらしいけれど、普段の私はモノクロ映画よのうなものを見ていたはずだ。
「ここは、どこなの?」
「ただのカフェですよ」
来たときと同じセリフを返される。
あのとき感じた懐かしさや心地よさは、今は微塵もない。
「私、帰ります。ごちそうさまでした」
「そうですか」
彼の顔からすっと表情が消えた。
「ここを出たら、真っ直ぐにお進みください。そうすれば、お望みの場所に辿り着くでしょう」
ごくりと唾を飲み込みながら頷く。
外はどうなっているのだろうか?
「決してあの光に惑わされないよう、お気をつけて」
そう言って窓の外を示す彼の指先を追う。
ゆらゆらと、ふわふわと、不規則に揺れる小さな光がだんだん集まってきているように思えた。
「あれは、何ですか?」
「落とし物ですよ。以前、ご来店されたお客様の」
思わず身震いをする。
何かはわからないけれど、きっと良くないものなのだろう。
「あなたも落とさないように、くれぐれもご注意を」
彼は再び笑顔を浮かべていたが、その目はまるで私を脅すかのような鋭さを帯びていた。
「あれは、なんなの……?」
もう一度尋ねてみるけれど、応えはない。
一刻も早くここから立ち去らなくてはいけない衝動に駆られる。
「もう、行くわ」
「ご来店ありがとうございました。道中お気をつけて。2度とお会いすることがないよう願っております」
普通のカフェなら、あってはならない言葉を口にしながら深々とお辞儀をする彼を一瞥して、私は出口へと小走りで向かった。
「……くれぐれも、命を落とされませぬよう……」
背後で微かにそんな呟きが聞こえた気がした。
fin
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