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悠真と帰宅することにも慣れた汗が流れる夏の日。帰宅すると缶チューハイを持って倒れている母がいた。呼びかけても答えがなく、うなされて苦しそうに唸っている。心拍数が急激に上がっていくのを感じる。
救急車を呼んで、母に付き添う。身の置きどころがないような不安が襲ってくる。西日の差す待合室で彼女の目覚めを待っている間、気がおかしくなりそうだった。白い壁を夕日が染めているだけなのに、それすら、不吉な印象だった。
病院に到着して三時間。やっと診察室に呼ばれた。医師から、母はもう起き上がって看護師と世間話をしていると聞き、ホッと胸を撫で下ろした。その日は、後日検査をするというので母をおいて帰宅した。
戻ってから考えたのは、入院費のことだった。これからどうしたらいいのか? 家に貯蓄をする余裕はなかった筈だ。私は天井を見上げ泣きそうだった。母の詳しい容態はまだわからない。
重圧に押しつぶされそうな夜、窓から空を見た。まだ完全な藍ではなくやや明るい空。星の光も弱い。晴れない気持ちと共に、明け方ようやく浅い眠りについた。
翌朝、母からのコール音に箸を止め急いで電話に出た。
「明日香、私肝臓がんだって。すぐに手術をしないといけないんだって」
殴られたかと思った。殴られた方が良かった。あの母ががん、突然のことに言葉を失った。
「治療費はどうするの?」
言いたいことはこんなことじゃない。でも、平行線だった母娘関係は今さら修復出来やしない。
「さすが。冷静ね。母さんの通帳に、あんたの父さんが養育費と慰謝料毎月振り込んどったから。なんにも心配はいらないわよ」
「なにそれ。初めて聞いたよ。じゃあなんであんなに一生懸命働いてたの? 体壊して、母さん馬鹿じゃないの!」
受け止められないことのパレードに目眩を感じていた。
「煩い子。とにかくしばらく入院することになるから。あんたは来なくていいよ。勉強をしっかりなさい」
「納得出来ないよ、こんなときに勉強だなんて。母さん本当に大丈夫なの?」
やっと大丈夫かと尋ねられたが、電話は切れてしまった。
授業にも身が入らず、先生から注意されることもあった。一日中を上の空で過ごし、やっと悠真との帰り道だ。
「母さんはどうして私に養育費や慰謝料のこと黙ってたんだろう。そんなお金があったんなら、夕方から朝まで連日スナックで働かなくても余裕があったと思うんだけど」
「それは、明日香のお母さんにしかわからないよ」
「私、今まで母さんにいっぱい辛い目にあわされてきたと思ってる。父さんと別れてから目の敵にされてきた。娘なのに愛されていない、憎まれてさえいるんじゃないかって。当然母さんのこと好きじゃない」
「俺は、親だからって無理に好きになる必要はないと思う。嫌いなら嫌いでいい。選ぶのはお前だ」
不安そうに言う私に悠真はきっぱり言った。
「もし母さんが死んでしまったら凄く後悔すると思う。不思議だね、嫌いだったはずなのに」
「それなら、答えは決まっているんじゃないか」
「うん。ありがとう」
「俺は 、お母さんがただ憎いだけでお前に辛く当たっているんじゃないと思うんだ」
「どうして?」
「なんとなくだ」
彼の言葉はときどき理解出来ない。
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