群青色の空

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 母の手術が近付いてきた。心を決め、見舞いに行った。静かにノックし病室に入る。個室になっていてトイレもあり案外過しやすそうだ。 「明日香来たの?」  彼女の顔色は悪い。 「うん、来た。具合悪そうだね」 「あんたが来たからかもね」 「母さんは憎まれ口ばかり、私に優しい言葉をかけてくれることないよね」 「あんたのこと嫌いだからね」 「私もあなたが大嫌い」  売り言葉に買い言葉だ。看護師さんも医師もいない、二人きり。 「ふふ。あんたも言うようになったね」  彼女が珍しく笑った。 「思ったより元気ある?」 「馬鹿、とても苦しいよ。なのにどうしてだかあんたが来てくれて、嬉しいのよ。焼きが回ったのかしら」 「母さん、手術頑張ってよ。散々私の邪魔をしてきたじゃない。負けっぱなしは悔しいよ」 「本当は私なんかいない方がいいのよ。こんな意地悪で身勝手な女なんて」 「母さんは私のことが嫌いなの?」  と勇気を絞り出して訊いた。彼女はしばらく思案して、 「そんなことあるわけない」  と答えた。目尻が涙で濡れていた。私も彼女の本心からの言葉にじっと耳を傾けた。 「明日香は私が二十歳のときに産んだ。そのときあの人、夫は三十歳だった。切れ長の目も高い鼻も あなたは彼にそっくりよ」 「そうなんだ」  記憶の父親の顏はぼんやりとしていてはっきりと思い出せない。 「物心ついた頃には、彼は家に帰ることもなくなっていたからしょうがないわね。情熱に任せて子供が出来て結婚したけれど、甘い生活とはいかなかった。私はすごい淋しがりで、昇進して仕事が忙しい彼を理解することが出来なかった。帰宅が遅くなると、浮気を疑って。最初は歩み寄ってくれていた夫も辟易して同僚と恋をして家から足が遠のいていった」 「そんなの悲しいよ、辛いよ」  その頃の彼女の心境を考えるといたたまれない。 「このことは墓場まで持っていこうと思っていたんだけど、話してしまってしょうがない母親よ」 「謝らないでよ。ずっと黙っていて苦しかったでしょ、母さん」 「私の苦しさなんて大したことない。自業自得だと思う。家事をあなたに任せてお酒に逃げてしまった。スナックの仕事は淋しさを紛らわす為にしていたのよ。お客さんと話して酒を飲んで束の間夢を見る。一方であなたが美しくなっていくのが怖かった。私と同じように恋に失敗して、淋しくて悲しい思いをするんじゃないかって。ううん、それだけじゃない。あなたが大切なのは確かだったけれど、未来があることに嫉妬していたのね。未熟な女でごめんなさい」  母の告白を聞いて気持ちは重かった。でも、初めて彼女の心に触れられた気がしていた。 「私はまだ子供だね。全部は受け入れられないけど、話してくれてありがとう」  久しぶりに涙が零れる。母の言葉は淋しくて辛くて正直だった。全てを理解は出来ないけれど、彼女の淋しさを埋めたいと思う自分がいた。病室を出るときに枕元に折り鶴をおいた。
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