銀杏並木

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銀杏並木

「はい」 帰り道すがら、ぶっきらぼうに差し出された缶に手を伸ばす。 手渡たされた瞬間、あいた片手でプルタブが開けられていた。 無駄のない仕草と、器用な指に見惚れたり。 手の中のコーヒーは一番好きなメーカーで、味も絶対間違えない。 「ありがとぉ」 それをまた、当たり前のように感じてしまって、慣れて来てる自分が居る。 (……寒。突然この当たり前が無くなったら、俺、どうなるんやろ) 「貴央、自分の買ってないの?」 貰ったの、飲んどいてからふと気付いた。 「あぁ、僕は良いですよ。小銭1本分しか無かったし。何でですか?」 「なんで俺の分だけ買ってんねん!お前、いつもひもじい思いしてる癖に!」 あんま甘やかさんといて。でないと……俺、どんどん凭れてまうよ。自分でもやっかいねん。きっと困るよ。 「”いつもひもじい”は余計です。ただお釣りで財布パンパンなるん嫌なだけですー。早よ飲んで下さい」 少し飲んだけど、結局持ったままの缶を、ジロリと見下ろされた。 「だって、俺だけ飲むの気ィ引けるやん」 「じゃぁ、一口下さい」 音程の一切変わらない声が、斜め上から響いた。 「…あ、あぁ」 はいっと手渡す前に手から取り上げられて、変わらない表情で、飲んだ。 貴央の口が缶の飲み口に触れた途端、なぜだか俺はドキドキして……訳判らん。 貴央は少しだけ顔を顰めた。 意外と潔癖性なんか?それともやっぱ人の飲んだ後って嫌なんじゃ… 「にがっ」 独り言のように小さく呟いた声が聞こえた。 「苦いて、コーヒーやからあたりまえやん」 ブラックて書いてるやん。 お前が買うてくれたんやん。 「いや、思てたより苦かったから、びっくりした」 「ハハハハ!」 貴央らしい答えやな。 「なんですか、そんな笑う事ですか?」 だって。顔を顰めた訳が解って、ホッとしてん。 「もしかして苦いのアカンの?見た目に似合わず、可愛いな~貴央君」 「違います~。僕は好き嫌いないですもん。ブラックなんか殆ど飲んだ事無かったから。あんまり美味し無かったけど……」 少しムッとしながらも、貴央の顰めっ面が少し綻んだ。 ---初めて知ったお前の嗜好。 俺の事覚えてくれてる代わりに、俺も忘れんとくわ。 また返ってきた量も減ってない缶に口を付けた。 回し飲みなんて、日常茶飯事やのに 何故だかまた妙に意識して、缶に触れた自分の唇に神経が集中する。 少し様子見た貴央は味を思いだしたのか、また顔を軽く歪めている。 「苦いの嫌いそうやのに飲んだ事無いもんを、なんで『一口くれ』なんてねだるんや?」 「冬馬君が飲んだ、モンやから」 また音程無く当たり前のように響いた言葉が、心に突き刺さり過ぎて。 驚くことさえ二の次で、あかんあかんと言うときながら、ただ純粋に喜びを噛みしめてしまっている俺が居る。 -おしまい-
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