二、

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 商談はすぐに纏った。  黙ってて。ユキが直前に言えば、開堂はそれに従った。 「お電話をいただき、ありがとうございました。こちらの物件でお間違いないでしょうか?」 「はい。チラシとモデルルームを見て気に入ってしまって」 「お目が高いですよ。最近の地方回帰ブームでこの辺りも定年退職されたご夫婦やお子様のいらっしゃるご家庭に人気で、出てもすぐに売り切れてしまうんです」 「そうなんですね。本当に素敵です。ここ、買います」 「ありがとうございます」  とんとん拍子で話が進み、業者が契約書を出すと、そこで初めて開堂の出番。 「こちらにご記入ください」 「はい」  ユキの見た目で不動産を買うのは怪しまれるから、契約者は開堂だ。 「ここは?」 「ご職業と大体で構いません。ご年収をお書きください」 「えっと……」 「小さいけれど会社を経営してるんです。昨年は、年収二千万を割るくらいだったよね?」 「ああ、そうだね」  助け舟を出しつつ、相手を探る。業者は警戒なんてまるでしていない。素敵ですね、なんて笑ってる。 「ありがとうございます。でも不安定な職でもあるので、早めに払いきってしまいたいんです」  覚えた住所、生年月日を記入して、最後に偽の署名をすれば契約は終了。 「左様でございますか。何年程のローンでご検討ですか? 書類の方も大丈夫です、ありがとうございます」 「半分はここに現金で。もう半分はすぐにお振込みできます」  ユキが鞄から分厚い封筒をいくつも取り出すと、隣に座る開堂は目を見開いた。 「それは……ありがとうございます。確認させていただきます」 「ええ、お願いします」  会話はそれだけ。あとは業者が紙幣を数え終えるのを待つだけだ。  平日のホテルは人もまばら。平和なこの国では、大金を出していても奪おうとする人は中々いない。現に今も驚いてこちらを見ている人はいても、敵意は感じない。それはホテルの従業員も同じだ。  ほっと息をつく。  ユキはそこまで確認して初めて、すっかり冷めてしまった紅茶に口をつけた。
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