あの娘にこんがらがって ……1

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あの娘にこんがらがって ……1

そのショートカットのJKが、店へ顔を出すようになって約1ヶ月が過ぎた。彼女はスラリとした体型で、水色の半袖ブラウスに濃紺の短いスカート、ナマ足優先のショート・ソックスには、赤いコンバースのハイカットをいつも合わせていた。 週2、3度は現れて、最低1回は何かを買ってくれるので、良いお得意様なのは間違いなかったが、会計時の当たり前の遣り取りを別にすれば、普通の日常会話をしたことはなかった。もっとも、その会計時の遣り取りにしても‛これ下さい‚から始まって、最近では‛これ‚と短縮されてきたぐらいで、別段アタシ達の距離感に特別な変化はなく、アタシの方でも妙なお得意様扱いはしなかった。 大体が、度を越した店と客との間の馴れ合いは好みではなかったし、そういうムードに甘えたメシ屋なんぞ金輪際ごめん被りたい、そんな主義のアタシだということもあった。 ところで、決まって昼下がりに顔を出す彼女は、恐らくドロップアウト組か、あるいはその予備軍だと思われ、その点でアタシは彼女に同じ匂いを嗅ぎ取っていて、多分向こうもまた同じなんじゃないだろうかと、勝手ながらそう思っていたりした。 因みに、これまで彼女が購入したレコードは4枚。 『ロキシー・ミュージック/サイレン』 『デヴィッド・ボウイ/レッツ・ダンス』 『ザ・ローリング・ストーンズ/アンダー・カバー』 『Tレックス/銀河系よりの使者』 アタシは、彼女のイメージを、これらのアルバムの印象から漠然とだけれど、なんとなく抱いていた。ま、これまた勝手なもんだけど、そのイメージは少々アタシと被る、やっぱりなんだかそんな気がした。 開きっ放しの引き戸を抜けて、取り敢えずのそよ風が店内を流れてはいた。生暖かい、それが……。 今、店では『マザー・アース/ユー・ハヴ・ビーン・ウォッチング』のCDが流れていた。ちょいと疲れを感じた時に、つい掛けてしまうアルバムというものが、アタシには何枚かあって、これもその中の一枚だった。このアルバム、緩くエッジが立っていて、心地好くファンキーなロックで、LPをクリーニングしながら、その音の生み出すゆったりとした空気感に、身も心も程好い案配にほぐれて行く、まさにそんな時だった……。 「ハァ、ハァ、ハァ……」 不意に荒い息遣いが耳へと届き、途端、緩んだ空気感に何かが孕んだ。顔を向ける間も無く、‛彼女‚がカウンターを挟んでアタシの前へと立ち塞がった。未だ荒い息遣いのせいで、小振りな胸も制服の下で息づいていた。 「……トイレ、ない?」 「……ない」 嘘ではない。店舗側には無いんだから……。 「違う、違うって!」 「……何ぃ、何がよ?」 「アレ、アッチじゃなくて、アレ!」 翻訳しよう。オシッコとかじゃなくて、生理だと、彼女は言っているのだ。 「ソッチ? そう。アッチよ、靴脱いでね」 「あんがと……」 彼女は、アタシが顎を振った方へ向かって、仕切りの所でスニーカーを脱ぎ、開いた引き戸から住居側へとヒョイと登った。と、振り返った彼女は、スニーカーを取り上げると、引き戸を閉めて奥へと消えた。 CDは6曲目の‛ヴェリー・トゥゲザー‚が流れていた……。 ふと、アタシは時計で時間を確認した。3時50分過ぎだった。彼女、例のJKがこの時間帯に現れたのは初めてだった。アタシは、今さっきJKが消えた住居エリアとの仕切りの方へ顔を向けた。 と、生暖かい風に乗って、何か懐かしい香りがこちらの鼻腔をくすぐった。アタシがその香りの方へ顔を向けると、川崎さんが近付いてくるところだった。風俗課の女刑事で、ストリートの野良猫上がりなアタシとは、旧知の間柄だった。ただ、彼女が店に顔を出すのは、極めてレアなことだ……。 という次第で、カウンターを挟んで今度は川崎がアタシの向かいへと立った。アタシは、心根を消して、出方を伺った。 「JK来なかったかな?」 「さー」 「へー、なんでって訊かないの?」 「なんでって、なんで?」 「チェッ!」 そう毒づいた川崎が次にしたことは、アタシにとっては意味不明だった。 「川崎さん、何ィ? 全然分からない」 アタシは、目前に拡げられた川崎の両手から、その持ち主の顔へと視線を移してそう訊ねた。 「サキ、アンタと知り合って何年も経ったけど、未だ指環もなく、仕事一筋ってことを教えとこうと思ってさ」 そうレスった川崎が、アタシの眼を見据えながらヒラヒラさせて両手を戻した……。数秒後、アタシ達は二人して吹き出した。 「よく足洗ったよね、リスペクトするわ、サキ」 「あんがと……で、JKがなんなの?」 「うん……あれさ、昔のアンタにちょいと似たタイプのJKでさ、ただ本質的にはサキとは違う人種だとは思うけど。だからさ、このままあんなことを、ああいう世界で続けていれば、アンタとは違った未来が訪れる可能性があるわけよ。アンタにはさ、あくまでアンタにとってのだけれどさ、まー、いい出会いがあったけど、誰にでもそういう幸運が待ち受けている訳じゃない。だから、心配してるってことでさァ……」 「川崎さんが、その出会いって訳?」 「そうかもしれないし、アンタかもしれない」 「……で、特徴は?」 それは、やはりあのJKだったし、川崎さんは、彼女がウチの常連客らしいことも知っていた。 「仮にその娘が、また来たとしてさ、どーしたら良いのよ?」 「仮にサキがその娘にまた出会えたら……アタシに連絡するように言い聞かせてよ、アタシにィ」 ちょいとクドイのが、ふと気にはなった。 「何ぃ、川崎さんじゃなきゃダメなの?」 川崎は、レスる代わりにアタシを見据え、再び両手を拡げて見せた。アタシは、今度は視線を落とさず、そして吹き出しはしなかった。やがて、視線を据えたままの川崎へ、アタシは頷き掛けた。川崎は、拡げたままの両手を合わせて合掌すると、店を後にした。 すっかり日常に荒んだアタシは、CDを停めた。途端に生暖かい風が流れてきて、ウンザリさせられたアタシだったが、仕方無い、繋ぎでクリーニング作業を再開した。 その時、住居との仕切りドアの開閉音がしたが、アタシは顔を向けなかった。少しして、コンバースを履き終えたJKが、アタシの向かいで佇んだ。 「この店、益々好きに成っちゃったな……」 「……立ち聞きしちゃったって?」 「聞こえちゃっただけ、センパイ」 「なーにが、先輩だよッ、バイバイ」 JKは、店の出入口の方を見遣ってからこうレスった。 「川崎ちゃん、居んじゃない、その辺に?」 「その方が話が早いじゃんか。川崎さんと話せば、それで済むんでしょ?」 「そんなに、甘くないんじゃない、先輩?」 「アンタさ、ウリだけじゃなくて何か別件あんじゃない?」 「……ねぇ、それ、拭いてたの何のレコード?」 「話の流れを変えるなんて低レベルのごまかしだねェ……別件、図星、了解!」 とは言ったものの、アタシも何をクリーニングしているのか、気付いていなかったので、レーベル面をチラ見すると、『ジョージ・ハリスン/33 1/3』だった。 「どーよ、やってみる、これ?」 「そーね、やってみてェ」 アタシは、苦笑してから、プレーヤーへ盤を載せると、回転し始めたそれに針を落とした。‛僕のために泣かないで‚が流れ出した。 続く
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