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正午になると、息継ぎをしに水面に浮上する。
きっかり一時間、その日の残りを生き延びるための糧を蓄える。
けれど多くの場合、それは必要な量には足りなかった。
いつの間にか、途中で息切れを起こしてへたり込むのが当たり前になり、周囲の目はどんどん厳しくなっていった。
「何もないならないで、反応くらいしてくれませんか。こんなことわざわざ言わされるのもショックですけど」
子供の頃からあがり症で、人前で発言することが得意ではなかった。それがある日、仕事の打ち合わせで意見を求められた時、とうとうまともに声を発することも難しくなった。
電話対応や同僚との会話は正常にできるのに、会議や勉強会のような大勢の視線が集まる場でだけ、体が強張り頭が真っ白になって、自分が思ういつものやり方で声が出せなくなってしまうのだ。
そして三度目、部署のミーティングの席でまた黙り込んでしまったかなめに、しびれを切らした課長がごく当然の苦言を呈した。
二回目まではなんとか喉を開いて喋ろうと努力していたが、その時にはもう、必死で振り絞った蚊の鳴くような声を聴かれることも恥ずかしくて、傍目には完全に無視を決め込んでいるようにしか見えなかっただろう。
「意見がないなら感想でも言えばいいのに、それもできない意味が分からない。性格の問題だと思って大目に見てきましたけど、どうやらそんなレベルじゃないですね。新人でもあるまいし、こんなこと注意されて恥ずかしいと思ってください」
その後、そのミーティングがどう進行していったのか記憶がない。
気付いた時にはもう議論は終わっていて、他の出席者たちは部屋を出て行くところだった。
我に返ったかなめは慌てて席を立ったものの、これ以上彼らと席を並べ、何食わぬ顔で仕事を続けることはできないということを、思うというよりも、悟った。
それから間もなく会社を辞め、有給休暇の消化期間中に部屋を引っ越した。
上司からは部署異動も打診されたが、部署を変わったところで自分がまともにやっていけるとは思えなかった。
その唐突な気付きは、ずっといい子やいい人のつもりで生きてきたかなめを、再起不能なレベルで打ちのめした。
部屋に引きこもってじっとしていると、少しずつ自分の正体が見えてくる。
皆に後れを取らないよう普通っぽい人生を取り繕ってきたけれど、その実何にも本気で向き合ったことはない。自分を説明する言葉が何もない。
それを自覚すると、世の中の人が当たり前に、あるいはいくらかの努力でこなしている物事の大半が、自分にできない理由もよく分かった。
そして、これまでの人生で取り逃したものを取り戻すのに十分な猶予はないと思い始めた頃、かなめは少しずつ外に出るようになった。
目的はなかった。ただ、空っぽな体の奥底でくすぶる焦燥感に操られ、突き動かされていた。
そのざらついた気持ちさえなくしてしまえる物や状況を見付けようとしていたのかもしれない。
たまたま入った本屋の雑誌で今の仕事を見付けていなければ、あの徘徊はもっと違った形で終わっていたのだろう。
手持無沙汰になるたびにふとそんなことを考え、その先を思い浮かべようとする自分がいた。
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