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そうして翌日、かなめは社長と共に依頼者との面談に臨んだ。 約束の時間の三分ほど前に呼び出しの電話が鳴り、かなめが事務所のドアを開けた途端、挨拶をする暇もなく、白っぽい毛色の犬が太腿に飛び付いて来た。 「こら、駄目だぞ」 焦った依頼者がリードを引っ張り引き離そうとしたが犬の力もなかなか強いようで、かなめのスーツはなす術もなく毛だらけになっていく。 「大丈夫です。可愛いですね」 実のところこういった挨拶を受けることは珍しくない。むしろ、警戒心の強い犬よりはよほど安心だ。 尻尾をちぎれんばかりに振り、甘えたように鼻を鳴らして擦り寄る犬の首元を撫でてやりながら、かなめは思わず頬を緩めた。 「お待ちしておりました。こちらへどうぞ。ワンちゃんもそのまま入って貰って大丈夫ですよ」 すかさず現れた社長がそう声を掛けると、依頼者の愛犬は今度は社長の方にぴったりとくっついた。 紛れもない犬好きである社長が喜ばないはずもなく、彼女は両手であやすようにその犬の顔回りを撫でた。 「本当にすみません」 「いえいえ、むしろこんなに喜んで貰えて嬉しいですよ。さ、どうぞ奥へ」 依頼者は恐縮しながらも、社長を追いかける愛犬の力に引っ張られるようにして、事務所奥の応接スペースへ通された。 「担当の村井と申します。よろしくお願いいたします」 犬の興奮が醒めるに従って緊張感を取り戻したかなめは、依頼者の正面の椅子に掛け、改めて挨拶をした。 「よろしくお願いします」 そんな彼女の様子に気付いているのかいないのか、依頼者も柔和な口調で言い、軽く頭を下げた。 彼――植山完司(うえやまかんじ)は、かなめが想像していたよりもずっと若かった。おそらく年齢は彼女と十歳も違わない、青年と呼んで差し支えない外見をしていた。 住み込みのペットシッターを雇おうというくらいだから、それなりに経済力のありそうな中年以上の男性と予想していたのだが。 「遠いところご足労いただきまして、ありがとうございます。途中迷われませんでしたか?」 おそらく社長も内心意外に思ってはいるのだろうが、さすがにそうした素振りは見せず、当たり障りのないところから会話の端緒を切った。 植山はいえ、と首を横に振り、次いで足元に寝そべる愛犬に目を遣った。 「車を降りてからは、こいつの道草に付き合ってギリギリになってしまって。こんな街中を歩くことは普段ないですから、珍しかったのかもしれません」 「今日の散歩はいつもと違うなあ、なんて不思議に思ったかもしれませんね」 「家はかなり田舎ですからね」 植山が苦笑したのに呼応するかのように、犬がちらりと飼い主の様子を目で窺うのを見て、かなめは小さく微笑みながらいつもの質問を投げ掛けた。 「この子のお名前は…」 「セプテンバーです。よく変な名前だって言われるんですけど、九月生まれなのでそのまんま」 「そうなんですか?私は、きれいな名前だと思います」 かなめは本心からそう言った。 この犬の淡い茶色と白の優しげな毛色も、涼やかな秋口のイメージに似つかわしいと思った。
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