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「うちは戸建てなんですけどね。昔の古い民家なので、離れが一棟空いてるんです。そこを使って貰っても良いかなと。…ただ、まさか村井さんのような若くてきれいな方がご担当だと思わなかったので、もちろん無理は言いませんよ」 「いえ、お気遣いいただいてとてもありがたいと…」 お世辞に慣れていないせいで、しどろもどろになってしまう。 かなめが落ち着きを取り戻そうと口をつぐんでいる間に、植山は平気な顔で言葉を続けた。 「うちの犬も村井さんを好いてるみたいだし、僕としてはぜひお願いしたいです。正直こちらも駄目もとで伺ったようなものなので、無理ならはっきり断っていただいて構いませんから」 かなめは咄嗟に返答できず、ほとんど無意識に隣の社長を振り返った。 こちらの目を見据える社長の口元が、どうしますか?という形に動いた。 ――担当者は私だ。私が決めないと。 「…植山様」 かなめは植山の顔をまっすぐ見つめ、意を決して返事を告げようとした。 しかしその時、あくまで穏やかな植山の表情が、一瞬ひどく残念そうに翳った気がして、反射的に言葉を飲み込んでしまう。 すると、それを見透かしたかのように今度はセプテンバーが寄って来て、かなめの太腿に前足を掛け、ピーピーと鼻を鳴らしながら彼女の胸元に頭を擦り付けてきた。 あまりにいじらしいその仕草に、悲しくもないのに涙腺が熱く緩むのを感じる。 「…村井さん?」 やや訝しげな植山の声音にはっと我に返り、かなめは取り繕うようにセプテンバーの背中を撫で擦り、小さく息を吐きだした。 「はい、あの…。承知いたしました。お引き受けしたいと思います」 「本当に?ありがとうございます。セプテンバー、良かったな」 植山が明るい声を上げると、セプテンバーも先ほどまでより大きく尻尾を振り始めた。 ぎこちなく笑うかなめの横で、社長は何とも言えない顔つきでしきりにうんうんと頷いていた。 「では、まず日程の方ですが…」 かなめが苦心しながら片手で書類を捲るのを見て、植山はようやくセプテンバーを自分の方へ呼び寄せた。 ――この人、わざとこの子を止めなかったんだ。 自分がまんまと丸め込まれたことを悟り、かなめは書類を確かめるふりをして俯き、ひそかに唇を噛み締めた。 *** 植山の自宅は、線路沿いの道を西へ十分ほど走り、住宅街を抜けてさらに小さな峠を越えた所にあった。 北側の小高い山のふもとにある小規模な集落の中の一軒だった。 車は広いが殺風景な庭を通り、母屋の横に設けられたガレージに停まった。 隣でエンジンを止めた植山が、少し疲れた様子で小さく伸びをする。 「ありがとうございます」 かなめが礼を言うと、彼はあくび混じりにいいえ、と応じた。 「暗いので、頭とか気を付けてくださいね。ちょっと造りが適当で、板が飛び出してる所があるんで」 「はい。それにしても、広いお宅ですね」 植山に続いて車を降りたかなめは、言われたとおりに用心しながらガレージを出、改めて辺りを見渡した。
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